12.はるかぜ見学(房子Ⅱシリーズ)

 片道三十分かかる途中でコンビニに寄り、房子の主治医と議論したため、謙一と陽子がグループホーム『はるかぜ』に到着したのは三時近かった。

「ごめん下さい」

 簡単に開く玄関の引き戸が、まずは二人を驚かせた。房子が入居しているホームは、インターホンを押して職員に開錠を頼まなければ建物の中には入れない。壁に『グループホームはるかぜ』の文字がなければ、ホームは二階建てのしゃれた民家として団地の景色に溶け込んでいる。

「あ、鈴木さんですね。稲本さんから伺っています。ようこそいらっしゃいました。私、施設長の尾藤です」

 華やかな女性の笑顔に出迎えられて中に入ると、広々とした木調のスペースの中央に、九人の利用者がゆったりと座れる大きなテーブルがあり、台所で用意されるお茶とお菓子を、エプロン姿の二人の職員がカウンター越しに受け取っては並べているところだった。

「さあ、三時のおやつの準備ができましたよ」

 声を合図に、大型のテレビの前のスペースで輪投げに興じていた利用者たちが次々とテーブルに着く様子を見ながら、二人は別の部屋にしつらえられた応接に案内された。

「改めまして施設長の尾藤節子です。稲本さんとは認知症指導者の会で親しくさせてもらっています。お母様がお薬の副作用で大変だと伺いました」

「はい。実は…」

 謙一はこれまでの経緯と、つい先ほどの医師とのやり取りをかいつまんで話し、

「私たちの近くで評判のいいグループホームはないかと情報を集めたところ、私のルートでも妻のルートでも、ここにたどりついたのです」

「そうでしたか。実は認知症の専門医というのは、まだほんの少ししかいないのですよ」

 医師に悪気がある訳ではなく、介護スタッフから何らかの訴えがあると、医師にできることは投薬ぐらいしかないのだと言う。

 利用者の人格が変化し、歩行が不安定になっても、排泄や入浴に支障がない程度に活動性が低下している方が、手間がかからなくて楽だと考える古参の介護職員が一人でも居ると、意欲のある若いスタッフは逆らえない。

「それが、業界でも問題になっているのですよ」

 尾藤施設長は、あくまでも利用者を中心に据えた『はるかぜ』の運営理念を説明し、

「今度は私が房子さんにお目にかかる番ですね」

 と言った。

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