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18.生活歴(房子Ⅱシリーズ)
房子がグループホームに入居した日、
「あの…お手数ですが、お帰りになったらこれを記入して返信用の封筒でお送りください。房子さんのことを職員みんなで共有したいのです」
管理者の尾藤から渡された封筒を開けた謙一は、
「おい、おふくろがどんな人生を歩んだか、子供の頃から書く用紙が入っていたぞ」
「へえ…前の施設じゃ何も聞かれなかったのに」
母一人子一人だから、こればかりはあなたの仕事よね、と陽子に言われ、謙一は早速作業に取りかかった。
田舎町で印刷業を営む両親の一人娘として昭和四年に生まれた房子は、気管支が弱くて過保護に育てられたために、大人になってからも人見知りをする傾向が残っていた。挺身隊として紡績工場で兵隊の毛布を織っている時に大地震に見舞われ、命からがら逃げ出そうとしたら、扉は塀の外側から鍵がかけられていた。
「お国のために働いているつもりだったのに、私らは工場に閉じ込められとったんや」
それ以来、地震への極端な恐怖と国家に対する不信を抱いたまま終戦を迎えた。
十八歳だった。
跡取りの男児を望む父親に急かされるように、二十歳で婿を取った房子は、謙一を産んだ頃から夫と不仲になり、謙一が二歳の時に離婚した。
その後は印刷工としてわき目もふらず活字を組んで謙一の学費を貯えた。謙一が大学に合格した日、四年間分の学費と生活費を一度に謙一に渡し、
「今日まではお前のために生きて来た。これからは自分のために生きる」
高らかに子離れ宣言をして、民謡と三味線に没頭した。
白内障の手術の失敗が原因で廃用性の寝たきりになった母親を、三年間の介護の末見送ると、後を追うように、その年のうちに父親が逝った。
従兄と二人、ほそぼそと続けて来た印刷業を七十歳で廃業してからは、貯えと老齢年金を計画的に使いながら、三味線と民謡を生きがいにしていたが、房子にライバル意識を抱く意地悪な人に、再三に亘り人前で三味線の調子をなじられる屈辱に耐えられなくて、民謡グループを脱退してからは、家と畑を往復する単調な生活になった。
「あの頃からだよな、おふくろの認知症が始まったのは…」
書き終えた生活歴を陽子に見せて謙一が言うと、
「私の知らないお母さんがたくさん居るのね…」
読み終えた陽子が寂しそうにつぶやいた。