ふじ枝の大正琴(03)

令和01年03月05日

 スーパー・ハヤカワの店長からの連絡は、相談と言うより通報であった。ひと月ほど前から来店するようになった高齢の女性が、誰の目にも認知症で、店にも他の客にも迷惑をかけていると言う。

「え?また住所も名前も分からないのですか?最近、そういうケースが多いですね」

「何とかしてほしいという依頼…というよりむしろ訴えでした」

 主任ケアマネージャーの柴田里美は、保健師の佐久間英代と社会福祉士の山内達也に言った。地域包括支援センターはこの三つの専門職で構成されていて、介護困難ケースへの対応は主任ケアマネージャーである柴田里美が中心に担当する。

「昔の商店だったらお店の人はもちろん、客同士もみんな近所の顔見知りでした。あんたんとこは育ちざかりの子供がいるんだから、これくらいの切り身を買って行きなよ、安くしとくからさ、とか、このみかん、特売だけど量が多いから、仲間で買って家族の人数で分けようよという会話が、普通に飛び交ってましたよね。それが郊外に駐車場付きの大きなスーパーができたら、個人商店は軒並み閉店しました。品数は豊富になった代わりに、店員も客も知らない人ばかりになってしまいました」

「その結果、名前も住所も分からない認知症のお婆さんが登場したというわけですね。昔だったら顔見知りの客がお婆さんの家族に連絡するか、家まで連れて帰ったでしょう。今はお店に苦情ですからね」

「…で、困った店が包括(※地域包括支援センターの略)に助けを求めて来る」

「地域包括支援センターは、文字通り、地域ぐるみでお互いに支え合う関係を復活させようとしているんだけれど、それまで小さな小売店を保護していた法律を改正して大型店舗の進出を認めた時点で、地域は崩壊し始めたんだと思う」

「地域という生活単位は、買い物、井戸端、川掃除、冠婚葬祭、防災、神社の行事、町内の寄り合いなど、日常的な接点や交流があって初めて成立するんですからね。便利で合理的な生活は、日常的な接点や交流を、面倒なものとして根こそぎ奪ってしまいます」

「考えて見れば、マンションなんて、昔の長屋と同じで、一つ建物に住む濃厚な地域だと思うけど、玄関にも郵便受けにもたいてい表札がありませんからね。隣の住人の出身も職業も、ひょっとすると顔すら知らないで暮らしています」

「個人情報保護法に象徴されるように、今じゃお互いを知らないこと、立ち入らないことが社会正義になっていますからね」

「一方でお互いを知らない社会を作っておきながら、連携だ、ネットワークだ、互助だ、共助だと言うのは矛盾しています」

「とにかく本人はお店ではお刺身ばあさんと呼ばれていて、日に一度、たいてい午前十時頃来店して刺身と醤油と総菜と卵パックを買って行くそうですから、姿を見たら私の携帯にご連絡頂いて、店でおばあさんと接触することにしました」

 柴田里美はそう言って、予定の訪問先へ出かけて行った。

 連絡が来たら、まずはさりげなく本人に会って、信頼関係を築かねばならない。

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