ふじ枝の大正琴(12)

令和01年03月30日

 ふじ枝の過去についての手掛かりは、市役所を定年まで勤め上げたあと、地域のボランティアなどで活躍していたことだけであった。

「何年前になるんでしょう…」

 ええっと、現在ふじ枝さんは八十二歳だから、市役所を定年になったのは…と山内は頭の中で計算し、

「五十五歳定年から六十歳定年に変わったのが確か一九八六年。ふじ枝さんは一九三七年生まれだから、一九九七年に六十歳になっています…ということは」

 二十二年前に退職ということになりますね、と絶望的な声を出した。二十年以上も前のボランティア仲間を果たして見つけることができるだろうか。

「とりあえずボラ連に行ってみるわ」

 と里美が言うと、

「僕も同行します」

 山内もふじ枝のことが他人事とは思えなくなっている。

 中部包括は社会福祉協議会に所属しているために、里美も山内もボランティア連絡協議会の事務局が社会福祉協議会の中にあることを知っていた。

「二十二年前のボランティア名簿ですか…」

 担当の女性職員は眉を寄せ、

「うちの市では昨年ボラ連の設立三十周年の記念行事を行いましたから、何らかの情報はあるかも知れませんが、名簿となると、個人情報ですからねえ…同じ社協の職員同士であっても、名簿に掲載されている皆さんの了解を取ってからでないと提供は難しいかも知れません」

 法の番人のような顔をして、

「それにしても、そんな昔の名簿がどうして必要なんですか?」

 と当然の質問をした。

「いえ、それは…」

 今度は里美が眉を寄せた。

 またしても個人情報の壁が立ちはだかった。里美は吉田ふじ枝のことを第三者に話すことについて本人の了解どころか、まともに接触ができないでいる。ここでふじ枝の事情を担当者に話すことは、逆に個人情報保護法に触れるのではないだろうか。いや、改めて考えると、ふじ枝のことを稲本に相談した時点で、認知症という配慮を要する個人情報を、本人の同意なく、稲本という第三者に提供したことになる。

「里美さん」

 山内が助け舟を出した。

「個人情報保護法には生命、身体、財産の保護のために必要な場合は本人の同意をとらなくても提供できる例外規定があります。ふじ枝さんはこれに当たると思いますよ」

 そうだった。山内の一言で里美の視界が開けた。

 そもそも困っている人を地域で支えようとすれば、情報を共有しないでは何も始まらない。福祉関係者は、個人情報保護法という厳めしい法律名に怯えて臆病になり過ぎている。入浴も食事も金銭管理も満足にできていないと思われるふじ枝は、間違いなく、生命、身体、財産について保護を要する対象なのだ。里美はふじ枝の状況を一通り説明し、

「昔のボランティア仲間が分かれば、ふじ枝さんの人柄を教えて頂き、できれば私どもが本人と接触する仲介をしてもらいたいと思っているのです」

「なるほど、そういうことですか…」

 担当者は、目の前の二人の包括職員の仕事ぶりに感動していた。一人の認知症の女性を支援するために、ここまでの努力を惜しまないのだ。

「分かりました。探してみますので少しお待ち下さいね」

 と席を外したが、あっけないほど早く戻ってきて、

「昨年ボラ連設立三十周年記念行事を行いましたから、ひょっとして二十周年記念の記録がないかと思って調べて見ましたら、吉田ふじ枝さんのお名前がすぐに見つかりました」

 福祉施設で大正琴を聴かせるボランティア団体『琴奏会』の副会長をしていらしたんですねと言って、記念式典の冊子の該当ページを開いて見せた。そこには様々な年齢の六人の会員が和服で写っていて、その下に、人物の輪郭ごとに氏名を表示した図が掲載してある。中央に二人並んだ左側の女性が六十二歳の頃の吉田ふじ枝だった。小柄なふじ枝が髪を後ろできりっと束ねてカメラを睨んでいる。裏面は六人の住所まで記載した名簿になっていた。

「あの…これを…」

 と言わないうちに、

「考えて見たらこれは、ご本人たちが承知の上で、冊子にして既に外に出ている公開情報です。保護すべき個人情報ではありませんね」

 担当者は写真のページと名簿のページをそれぞれコピーして里美に渡してくれた。この中から里美はふじ枝の支援に協力してくれる人を見つけなくてはならない。

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