ふじ枝の大正琴(13)

令和01年04月01日

 名簿に掲載された、ふじ枝以外の五人の会員を当たると、会長を含む三人が既に亡くなっていたが、一番年齢の若い小山春子だけが、今も地域で数人の大正琴愛好者の指導者をしていて、

「琴奏会ですか、懐かしいですね。ふじ枝さんには当時随分お世話になったんですよ。解散して皆さん疎遠になってしまいましたが、ふじ枝さんとは何年か年賀状のやり取りが続きました」

 お元気でお過ごしなのですかと尋ねる春子に、ふじ枝の現状の概略を話し、

「電話ではあれですから、一度お目にかかれませんか?ふじ枝さんのためにご協力頂きたいことがあるのです」

 里美は中部包括支援センターで小山春子と会う約束をした。

 その日、支援センターの会議室で写真を見せられた春子は、

「ああ、ボラ連の二十周年記念冊子の写真ですね。我が家にもあったはずなのですが、郊外に戸建てを買って引っ越すときにどこかに行ってしまいました。このメンバーで色々な老人施設を慰問しましたよ。太いマジックペンで歌詞を手書きした大きな紙をホワイトボードに貼って、大正琴で唱歌を演奏するんです。子供の頃に歌ったメロディーは皆さん不思議と覚えていらして、特に『ふるさと』を演奏すると、歌いながら涙を流される人がたくさんいらっしゃいました。私も信州の出身ですが、あの歌は一人一人に故郷の山や川や両親や友人を思い出させるのでしょうね」

 里美の脳裏で、写真の中の吉田ふじ枝が、真剣な表情で大正琴を演奏している。市役所を六十歳で退職して大正琴のボランティア団体に加わり、二年後には、副会長として記念写真に納まっている。

「あのしっかり者のふじ枝さんが認知症ですか…」

 小山春子は驚きを隠せない。七十二歳になった春子にとっても認知症は他人事ではない。脳の老化を置き去りにして、肉体ばかりが長寿を果たすようになったこの国では、高齢者は全員、認知症の不安にさらされている。

「そこでですね、小山さん」

 里美は身を乗り出して、

「大正琴を利用して、ふじ枝さんを『集いの家』というデイサービスの施設に誘い出す工夫はできないでしょうか」

「通わせるのですか?」

「いえ、いずれはそうなるといいと思いますが、まずは『集いの家』の稲本さんという相談員と会う機会を作りたいのです」

「稲本さんと言いますと?」

「人と信頼関係を築くプロと言えばいいでしょうか、コミュニケーション技術の指導者で、認知症専門のデイサービスの相談員ですから、ふじ枝さんの心にうまく入り込むことができるのではないかと期待しています」

 と言ったあとで、

「本当は私の役割なのですが…」

 里美は自嘲気味に笑った。

 しかし里美には、山内と一緒に稲本の話を聞いて気づいたことがある。地域包括支援センターに配属される職員は、資格は持ってはいても、認知症のケアについて特別な技術を持っているとは限らない。ペーパー試験に合格すれば取得できる資格なのである。もちろん専門職として技術は現場で磨き続けなくてはならないが、有能な技術の保有者が地域にいれば、それを活用するのもプロの仕事なのではないだろうか。

 里美の熱意に応えるように、小山春子はバッグから小さな手帳を取り出して、

「お世話になったふじ枝さんのことですから、喜んでご協力いたしますが、まずは私が稲本さんにお目にかかって、どんなご協力ができるか一緒に考えて頂くというのはどうでしょう」

 日程の空いている日時を拾い上げた。

前へ次へ