ふじ枝の大正琴(14)

令和01年04月03日

 稲本の頭の中はどうなっているのだろう。

 その日、柴田里美の申し出で小山春子と三人で会って話を聞いた稲本は、大正琴、ボランティア、副会長というキーワードだけで子供のように目を輝かせ、

「柴田さん、スーパー・ハヤカワの店頭で大正琴の演奏会を開催できるように店長と掛け合えますか?」

 店頭で演奏するのに、五月は最も相応しい季節でしょうと言った。

「小山さんの指導を受けていらっしゃる皆さんは何人でしたか?」

「四人です」

「ちょうどいい。一緒に演奏会に出演してもらいましょう」

 買い物に出かけたスーパーの店先で、慣れ親しんだ大正琴の音色が聞こえてくれば、ふじ枝はきっと立ち止まる。そこで切りのいいところで演奏をやめて、

「副会長さん?副会長の吉田ふじ枝さんでしょ?覚えていらっしゃいますか?懐かしいですねえ。私、琴奏会でお世話になった春子です、小山春子…。驚いたように、そう声をかけてもらいます。そのあとは、二十周年の写真を見せたり、大正琴に触れてもらったりして昔話をして下さい。そして、ふじ枝さんの記憶が当時に戻ったところで、こう誘ってもらいます。ちょうど良かった。このあと引き続き、近くのお年寄りの施設で昔のように大正琴の演奏をするんですけど、副会長さんにも聴いて頂いて、悪いところを指摘してもらえませんか?」

「え!引き続きですか?」

 意表を突かれて春子が言うと、

「認知症は日を改めたら覚えていませんからね。それに、こういうことには勢いが大切です。もちろん会場は『集いの家』です。わざわざ来て頂くのですから、送迎は施設で行うと言って下さい。小山さんや大正琴の皆さんがご一緒なら、ふじ枝さんにも抵抗はありません。ちょうど施設の車は七人乗りです。スーパーの駐車場で待機していて、演奏が終わった頃、店の前に車を寄せます」

 里美にも春子にも稲本の構想が理解できた。

「…で、私は店長に掛け合うだけの役割ですか?」

「柴田さんは警戒されていますから裏方に徹してもらった方が安全ですね」

「だったらせめて店頭と施設の飾りつけを引き受けますよ。机や椅子はスーパーのものを借りられるよう手配します。机には白布があった方がいいですね。職場のものを借りられると思います。そうだ、琴奏会という貼り紙を作って行きましょう。そういうこと、山内が得意です」

「本格的ですね」

 春子も次第に計画に夢中になって行く。

 施設での演奏が終わったら、利用者の皆さんとの昼食会に参加して下さいと稲本は言った。

「人間は飲み食いを一緒にすると親しくなります。もちろんメニューは、ふじ枝さんの好物のお刺身です。日にちが決まったら私が市場でみつくろって来ます」

 こう見えて、実は調理師の免許を持っているのだと、稲本は得意そうに笑った。

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