ふじ枝の大正琴(16)

令和01年04月09日

 玄関に送迎の車が着く度に『集いの家』は利用者が増えて、午前十時には定員の十二人が揃う。体温や血圧などの体調チェックを済ませると、いつものように思い思いの一日が始まるはずだったが、その日は違っていた。

「皆さん、お早うございます。今日も元気なお顔が見られて本当にうれしく思います」

 ケアリーダーの白石朝子は明るく挨拶をしたあとで、

「さて、昨日お話ししたように、本日はボランティアの皆さんが大正琴の演奏に来て下さいます。それが済んだら、感謝の気持ちをこめて、ちょっと豪華な昼食をご一緒します。相談員の稲本が今朝市場で仕入れた立派な鯛を、自慢の包丁でお刺身にするところをご披露することになっていますので、楽しみにして下さい」

 と説明して、

「さあ、そろそろ玄関に大正琴の皆さんが到着しますからお出迎えをお願いしますね」

利用者を促した。

 玄関にワゴンが着き、大正琴を持った五人の奏者とふじ枝が次々と降りるのを、職員を含めた十人ほどが拍手で出迎えた。デイルームには、スーパー・ハヤカワの店頭と同様の配置で並べられた長机を白布が覆い、小山春子を中央に、五人の奏者が座って琴を準備した。壁には『琴奏会』の貼り紙がある。稲本に促されて客席の最前列の端に座ったふじ枝は、バスの中で春子が見せてくれた写真を思い出していた。あの頃はふじ枝もこうして和服姿で高齢者の施設で演奏した。無性に懐かしかった。そんなふじ枝の気分を察したように、春子がふじ枝に向かってかすかにほほ笑んだ。

「お早うございます。本日、大正琴を演奏して下さる小山春子さんと四人の皆さんです。歓迎の気持ちで温かい拍手をお願いします」

 稲本が片腕を広げて紹介した。それを合図に立ち上がって深々と頭を下げる五人の奏者に、利用者も職員も惜しみなく拍手を送った。

「本日はもう一人お誘いして演奏を聴いて頂きます。リーダーの小山さんが、かつて指導を受けた、大先輩の吉田ふじ枝さんです」

 稲本に紹介され、ふじ枝も立ち上がってぎこちなく頭を下げた。拍手はふじ枝にも注がれた。スカートの下にパジャマを履いていることが、ふじ枝は急に恥ずかしくなった。

 『さくら』、『ふるさと』、『おぼろ月夜』、『この道』、『雪の降る街を』『荒城の月』…。曲の合間ごとに春子の軽妙なおしゃべりを挟みながら、美しい日本の唱歌が繰り出され、デイルームは一つになった。ある者は体を揺らし、ある者はうろ覚えの歌詞を口ずさみ、ある者は涙を浮かべていた。

 演奏が終わったときは、誰に促されなくても会場は大きな拍手に包まれた。見ると、ふじ枝も立ち上がって手を叩いていた。

「いかがでしたか?大人になると聴く機会が減りますが、唱歌というものは、いいものですね。人間の醜い面をたくさん見て、すっかり濁ってしまった自分の心が、子供の頃の、あの素直な気持ちを取り戻して、ああ、生きているっていいなあ…って思います。私みたいな若造…といっても今年で四十五歳になりますが、私でさえそう感じるのですから、皆さんのように私の倍近く生きて来て、恋愛、結婚、子育て、両親とのお別れ、ひょっとすると辛い戦争の記憶まで持っていらっしゃる人生の先輩たちはなおさらでしょう」

 稲本の言葉に一人の男性利用者が感極まって号泣した。

「あ、ごめんなさい、酒井さん、泣かせちゃったね」

 酒井政之は、焼夷弾で両親と弟が焼死したとき、たまたま友達の家に遊びに行っていて九死に一生を得たという過去を持っている。多くを語らないが、稲本の言葉を聞いて、施設で育った苦労と、家族揃って食卓を囲んだ頃の楽しい思い出が蘇ったのに違いない。認知症といえども心は空洞ではない。表現する相手や意欲や言葉を失っているだけで、心にはたくさんの経験と、それにまつわる感情が詰まっているのだ。

「さあ、ここからは楽しい昼食の時間です。いつもと違って、本日は演奏下さったボランティアの皆さんに感謝の気持ちを込めての食事会ですから、調理師の免許を持つ稲本が、自慢の包丁でとびきりの鯛のお刺身を作ります」

 キッチンをご注目下さいと白石が雰囲気を盛り上げた。

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