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ふじ枝の大正琴(19)
令和01年04月15日
「そうですか、私には接触もできなかったふじ枝さんが、笑ってそんなことを…」
柴田里美は包括を訪ねて来た稲本の報告に驚いていた。
「ふじ枝さんとの接触に失敗したのは、柴田さんだからじゃなくて、接触するための状況設定が不十分だったのだと思います」
人に意思決定をさせるのは誰かの熱意や説得力ではなくて状況であると稲本は言う。
例えば、突然訪ねて来たセールスに生命保険を勧められても、警戒するばかりで簡単には加入しないが、健康不安を感じる状況があって、かさむ治療費と、収入の途絶える心細さと、妻子の将来に対する責任について考え始めたときに勧められれば、セールスの人柄よりも商品内容を比較検討して保険に加入する。例えば、同級生の訃報に驚いて参列した通夜で、人間は生きているうちにやりたいことはやっておくべきだという話題になり、おれは年に一度は夫婦で海外に出かけているとか、私は結婚記念日だけは家族で贅沢な食事をしているなどという友人の話を聞いた状況で勧められれば、貯金だけが生きがいだった男が突然高級車に買い替える。人を動かすときに大切なのは自然な状況設定なのだ。
「…ということは、ふじ枝さんを私につないで頂くのは、もう少し先になりそうですね?」
「はい、ここで焦っては失敗します。誰だって困った人として扱われるのは不本意なのです。小山さんという仲間に会えた喜びと、かつて夢中になった大正琴に対する懐かしさと、ボランティアとして役に立っていたという誇りが、ふじ枝さんの記憶を刺激して気持を前に向かせています。これは柴田さんがボラ連から情報を入手して、小山さんと私をつながなければ設定できなかった状況です。軌道に乗るまでは私が関わって、いいタイミングで柴田さんをご紹介する状況を作りましょう」
それまではこうして進捗をご報告しますと稲本が言ったところで、里美の心に別の心配が頭をもたげた。
「あの…本来これは包括の仕事です。デイの相談員である稲本さんが時間を割くことに職務上の問題はありませんか?」
「ああ、うちの会社は、そのことは心配いりません」
『集いの家』における稲本の正式な立場は所長である。対外活動と全体の運営に責任を持っている。デイの事業所としては別に管理者を置き、稲本は生活指導員の資格を持つ他の四人の介護職員と共に、全員で相談員を兼務する形を取っている。介護保険サービス事業所としての職員基準をしっかりと満たしながら、稲本は所長として、比較的自由に困難事例の相談に乗ったり、インタビューの演習を主催したり、外部の研修の講師を引き受けたりしている。
「社長は会社を二つ経営していて、『集いの家』の運営は所長の私に任せてくれています。私は『集いの家』を、認知症で困っている人やその家族の拠り所にしたくて、困難な事例に向き合っています。職員全体で支援に取り組み、実践を繰り返せば、ケアの理解も技術も進みます。そこから得た知恵やノウハウは外部講師として発信します。地道な積み重ねで信用を得て、安定的に利用希望者も職員も集ってくる仕組みを作ることが本当の意味で経営目的の実現につながると思っています」
いつかは『集いの家』に、認知症ケアの研究・技能習得センターの機能を持たせて、定見のない認知症ケアの分野に、きちんと訓練された人材を提供するようになるのが夢なのだと、稲本は目を輝かせた。
里美は地域包括支援センターの限界と可能性について考えていた。そもそもが、介護予防のプランを作成したり、介護相談に応じたり、虐待に対応したりすることを行政から委託されている割には、包括の職員には認知症ケアについての技術的担保はない。稲本のように認知症ケアに日常的に携わるバックヤードを持たない包括は、どうしても技術よりも知識に偏ってしまう。知識だけではスケートは滑れないように、認知症の初期集中対応チームに加わってみても、接触ひとつ稲本のようにはできない。しかし、その限界が個人に帰するのではなく組織の設計にあるのだとしたら、稲本のような人材を発見し、活用することこそ包括支援センターの可能性ではないか。
「それじゃ稲本さん、こちらでできることがあれば、何でもおっしゃって下さいね」
里美の言葉に稲本は振り返って軽く手を挙げた。口元が温かくほほ笑んでいた。そのとき里美は自分が花粉予防のためにマスクをしていることに改めて気が付いた。温かい表情を見せるのも対人技術だとしたら、口元を隠すのはマイナスである。里美は慌ててマスクを外して笑顔で稲本を見送った。