お仕置き(2)

令和05年10月26日

「どうした?郁代」

 同じ福祉系の大学の先輩で、ボランティア仲間として子ども食堂の運営に関わった小島直樹は、相談室で二人きりになると、学生時代同様に郁代を下の名前で呼ぶ。郁代はそれが嬉しかった。

「実は、お仕置きストッキングのことですが…」

 事情を聴いた小島は、

「そんないじめに遭った経験があるのか…。それでは見るのもつらいだろうな…分かるよ」

「私ね…」

「ん?」

「あれは利用者に対する虐待ではないかと思うんですよね…」

 虐待という言葉を口にするだけで郁代の心臓は激しく脈打った。虐待防止法は、利用者に対する職員の虐待を発見した同僚には、市町村へ通報する義務を課している…ということは、小島が虐待と認めたとたんに二人には通報する義務が発生する。

「虐待?」

 聞き返す小島の声の険しさがふと寺脇の声のように聞こえて、

「いえ、寺脇さんに悪意があると言っているのではありません。ただ、私の場合、八年以上昔に受けたストッキングのいじめが大変なトラウマになっているのですから、利用者だって嫌な思いをしているのではないかと思うのです」

 郁代は慌てて言い繕った。

 そんな郁代の気持ちを察するように、

「いや、郁代が寺脇さんを批難している訳じゃないのは分かるよ。しかし難しいところだね。本人たちが嫌がっていれば虐待だろうが、むしろ喜んでいるからなあ。そこが知的障害の悲しいところだよ。寺脇さんは、どの活動でも逸脱する利用者にはあの罰を与えるけど、結局みんなストッキングを被りたがっている。あれじゃお仕置きじゃなくてレクリエーションみたいなもんだからね」

「でも…」

 知的障害があるのをいいことに、普通なら恥ずかしいことを強要して、みんなで笑いものにするのは虐待ではないだろうか。ましてやその姿を写真に撮って、職員で共有するなんて許されないことのように思う。これがストッキングではなくて、下半身を裸にするのだったらどうだろう。それだって、周囲が囃し立てれば、利用者たちは嫌がるどころか、得意になるかも知れない。

「一応、お仕置きという名目ですが、本人たちも喜んでいますので、これはレクリエーションだとご理解くださいと言って、ストッキングを被った利用者の写真を家族に送れるでしょうか?」

「そりゃあ家族には見せられないだろう」

「家族に見せられないような行為を強要するのは、やはり問題だと思いませんか?」

 小島は返答ができなかった。

 わずか三年の勤務の間に知的障害者に対する特殊な指導環境にすっかり慣れてしまって、悪ふざけと虐待の区別がつかなくなっているのではないだろうか…。

 小島は、突然、酒井良治という気の短い利用者のことを思い出した。おやつの時間に、口に運ぼうとしたプリンをうっかり床に落として、良治はパニックになった。スプーンを床に投げつけ、大声を上げ、地団太を踏んで悔しがる良治の興奮が波及して、パニックはグループ全体に広がった。遠山亜衣支援員がすかさず新しいプリンと取り換えたが、パニックは収まらず、

「もう大丈夫だから、さあ、落ち着いておやつを食べよう」

 小島直樹の声が利用者の喧騒に空しくかき消されたとき、寺脇の大きな体が現れたかと思うと、

前へ次へ