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お仕置き(4)
令和05年11月01日
法人本部で開催された所長会議を終えて施設に戻った市川正義は、まだ体に馴染まない所長室の椅子に深々と体を預け、中空に向けて大きく息を吐きだした。会議には理事長初め法人が運営する四つの施設の施設長と事務長が集まったが、全員が県や市のOBばかりで顔見知りだった。議事は事務局の進行に頷いていれば滞りなく終わったが、市川にとっては会議の前後の雑談が有意義だった。
「いやぁ市川さん、お久しぶりです。こんなところでまたご一緒するなんてご縁がありますね。私なんか建設局を退職して用意されたポストが知的障害者の入所施設ですからねえ…。まったくの畑違いで戸惑いましたよ。市川さんは確か最後は環境局でしたよね。それで知的障害者の通所施設に行けと言われたのでは驚かれたでしょう?」
「おっしゃる通り、私、知的障害者と関わった経験は皆無ですからね、どう接したらいいか全く分かりません。本来、ここは民生福祉局の退職者のポストだったんでしょう?」
すると今年度で任期の五年を勤め上げるという就労支援施設の施設長が、
「何年か前に、ほら、関連部局から福祉施設に再雇用された職員が、現職時代のコネを使って補助金だか監査だかで便宜を図った事件があったでしょう?あれ以来ですよ。行政との癒着を勘ぐられるのを警戒して、敢えて無関係の部局からの採用が主流になりました。逆に建設関係の団体には民生福祉局のOBが行って、同じように戸惑っているのですから、真面目に団体の運営に貢献するつもりの人事だとしたらふざけた話ですよ」
「ま、何も期待されていないということでしょうな。素人の所長なら口出しをしないから現場の職員にとっては都合がいい。我々は施設のことは現場に任せて、年金までの五年間を大過なく食いつないで余生に入る。国も地方も公務員はみんな同じシステムで動いている。だから行政は、どこの部局もOBのための外郭団体を作るんですな」
所長たちはいつまで経っても施設の職員になり切れず、結局、公務員時代の気分のままでいた。何も期待されていないのでしょうな…という言葉が市川の胸でかすかな痛みを放っていた。期待されていないという認識を持ったのでは、現場の職員と比べて決して低くない報酬を得るのは気が引ける。しかし、せいぜい五年と限られた勤務年数で、素人の所長が施設運営に口出しをするのもいかがなものかと思う。
前任の所長は引き継ぎのときにこう言った。
「引継ぎといっても、難しいことは特にありません。利用者を確保して施設の収入を維持することは、事務長やサービス管理責任者がぬかりなくやってくれています。対外的なお付き合いと、職員会議や行事のときの挨拶は所長の仕事ですが、これは長年の役所勤めの経験がありますから問題はないでしょう。しかし監査だけは県の職員が来ますので、ご自分が県の職員であったことをそれとなくアピールして、影響力を発揮しなければなりません。と言っても、ご存じの通り、公務員は前年度の監査で問題にならなかったことには触れないのが鉄則です。問題にすれば前年度の監査官の責任につながりますからね。前年度通りに事務処理がなされていれば基本的には問題ありません…それでも監査に来た職員を手ぶらでは帰せませんから、単純な記載ミスや報告ミス程度は準備しておくくらいの気配りはあってもいいと思います。ま、これも事務長が心得ています。あとは利用者の処遇ですが、福祉施設は、物を作るのでも制度を適用するのでもなく、人間を世話するところです。それも一般社会では適応が困難な障害者が対象です。施設は集団生活ですから、当然、秩序が必要ですが、秩序はルールを設けるだけでは保てません。障害者を直接支援する職員には指導に従わせる技術がどうしても必要です。まあ、技術というよりは力ですけどね」
そして、こうつけ加えた。
「その点は市川さん、この『あすなろ作業所』は恵まれていますよ。入所施設から来た寺脇という力のあるベテラン支援員がいますからねえ」
彼がいれば現場は安心ですと言われた、まさにその寺脇支援員のことで、新人職員の鈴村郁代が所長室を訪ねてきたのは、翌週の火曜日の昼休みのことだった。
控えめなノックの音に、
「どうぞ」
食堂で利用者や職員より先に検食という名目で藤原事務長と一緒に給食を済ませて戻ったばかりの市川が応えると、
「失礼します」
鈴村郁代は勧められたソファーに浅く腰を下ろして背筋を伸ばし、
「この春、採用していただいた鈴村と申します」
思い詰めた表情で頭を下げて、
「実は…」
お仕置きと称して利用者にストッキングを被せて笑いものにする寺脇さんの指導は虐待ではないかと言った。
「え?ストッキングですか?」
市川はまだその現場を見たことがなかったが、ストッキングを被せる程度なら虐待と騒ぐほどのことではないようにも思う。それに、力のある支援員として評価の高い寺脇の指導を、採用されてまだ二か月足らずの新人支援員が批判するのは僭越ではないかと率直に思った。
「こうして現場の様子を知らせてくださるのは大変有難いですが、ええっと、これは鈴村さん個人の意見ですか?」
「あ、はい。他の職員がどう思っていらっしゃるかは分かりませんが、皆さん写真を見て笑っていらっしゃいますから、虐待という認識はないのだと思います」
「写真…ですか?ちょっと見せてください」
「いえ、写真を共有するのは親しいLINEグループのメンバーだけで、私は入れてもらっていません。ただ、私…」
と中学時代のいじめの話を打ち明けて、
「あれを見るだけでとてもつらい気持ちになるのです」
郁代は涙ぐんだ。
自分がいじめられていたときは、そのことを両親にも教員にも相談ができなかった。今思えば、いじめそのものよりも、あるかないか分からない報復に怯えて誰にも話すことのできない自分の不甲斐なさに絶望していた。高校、大学と進学し、友人もできて、いつの間にか、いじめの傷にはカサブタができたが、多感な中学二年生の一時期を、思考を停止して、ひたすら屈辱に耐えてしまった悔しい思いが、八年余りの歳月を超えて郁代を苦しめていた。これがトラウマというものなのだろうか。寺脇のお仕置きに反対する行動を起こさなければ、自分の心に巣食う厄介な臆病を乗り越える機会は二度とないだろう…という追い詰められた気持ちが、所長室を訪ねるというハードルを乗り越えさせていた。
その熱意は買わなければならないと市川は思った。それに、寺脇のやり方に複数の職員が反発しているわけでないことが聞けたのは収穫だった。
「いや、鈴村さんの気持ちはよく分かりました。利用者のことを真剣に考える姿勢にも心打たれました。自分の体験に照らして利用者がつらい思いをしているのではないかと心配する感性は、こういう仕事には欠かせないものだと思います。ただ、お仕置きが始まった時期も、経緯も、それに対する他の職員の考えも残念ながら分かりません。私は就任したばかりで、鈴村さん以上に現場の状況には不案内です。ここはゆっくり時間をかけて、他の職員の意見も聞いてみる必要を感じます。全体の指導に関わることですから、みんなで話し合ってその是非を検討して参りましょう」
市川は結論を先送りしたつもりでいたが、
「有難うございます。勇気を出してお話に来た甲斐がありました。所長さんのおっしゃる通りだと思います」
郁代は我が意を得たという顔で食堂へ戻って行った。
郁代が市川の言葉をどう理解したのかは、翌月の職員会議で明らかになる。