お仕置き(5)

令和05年11月03日

 今年度になって三回目の定例職員会議は、帰宅に手間取っている利用者の支援をパートの職員に任せて、サービス管理責任者の前沢幹夫の進行で、十六時三十分から開催された。市川所長の型通りの挨拶に続いて、当面の行事予定の説明と利用者の動向について報告し合ったあと、

「さて、そのほかに議題がなければ解散しますが…」

 前沢の言葉を合図に職員が机上を片付けようとしたとき、

「あの…」

 鈴村郁代が手を挙げた。

 全員の視線が郁代に集まった。

「実は、利用者にストッキングを被せるお仕置きのことですが、私、あれは広い意味で虐待に当たるのではないかと心配しています。勤務して間もない新人職員だからそう思うのかも知れませんが、大学で学んだ障害者虐待の類型調査には、利用者に滑稽な恰好をさせて笑いものにする事例が複数取り上げられていました。虐待防止法の施行により、利用者を貶めるような行為が明るみに出たら社会的制裁の対象になる時代です。もしも利用者がお仕置きストッキングのことを家族に話したらと思うと気が気ではありません。あのお仕置きの是非について、この場で話し合って頂けたらと思うのですが…」

 事務室は凍り付いたように静まり返った。

 誰もが心のどこかで、あるいはふざけ過ぎかも知れないと思いながらも、お仕置きを必要悪として容認していた。利用者の統率は寺脇大輔の指導力に依存している。その寺脇が考案し、寺脇なしには成立しないお仕置き方法だった。みんな暗に寺脇という司令官の命令に従う兵士のような立場に自らを置くことで、この件に関する責任から遠ざかっていた。

「ええ…今、新人の鈴村支援員から問題提起がありました。言うまでもなく、利用者に対する指導が適切であるかどうかについて振り返るのはとても大切なことだと思います。また、ご本人もおっしゃっていましたが、新人であるからこそ疑問に思うという面もあると思います。我々も利用者もすっかり慣れてしまって、むしろ生活のちょっとしたアクセントになっている感のあるお仕置きストッキングについて、それが虐待であるかどうか、ひとつ忌憚のないご意見を頂きたいと思います」

 前沢の視線に促されて、

「私、恥ずかしながら先日スピード違反で捕まって点数を二点引かれ、罰金を一万五千円も取られました。我々健常者であっても、社会の秩序を保つためには、どうしても罰が必要なのです。施設という社会に通う知的障害者も同様だと思います。ストッキングを被って済むのなら私は減点や罰金よりその方が有難いですね」

 岸谷洋一の発言で笑いが起きた。

 その勢いで支援員の江口俊之が言った。

「鈴村さんはご存じないでしょうが、昔は作業に取り組まなかったり、人に乱暴したり、物を壊したりした利用者には、容赦なく体罰を加えた時代がありました。その反省の下に、暴力はダメ、給食やおやつを与えないのもダメ、反省室に一定時間閉じ込めるのもダメ、怒鳴るのもダメということになって、かろうじて罰として機能しているのがストッキングなのだと思います。肉体的苦痛はありませんから体罰とは違います。しかし罰を受けていることが本人にも他の利用者にも明白です。私はなかなか効果的な方法だと思っています」

 議論の方向性が見えたと判断したのか、今度は神田由紀支援員が江口の発言を補足した。

「肉体的苦痛どころか、利用者たちはストッキングを楽しんでいますから、精神的ダメージもありませんよ。それでも一応、罰ということで定着しています。この場合、罰があるということが大切なのではないでしょうか」

 寺脇は腕を組んで黙っている。荒海で船長が舟の行方を見定めているような迫力があった。

「小島くんはどんな意見ですか?鈴村さんの指導担当でしたよね?」

 前沢に発言を求められた小島はわずかに動揺したが、

「あ、はい。鈴村さんからは、先日、そのことで相談を受けて、確かに考え直す時期に来ているのかもしれないと思い始めていたところです」

 正直に言った。

「ほう…すると、小島くんは、あれは虐待だと?」

「いえ、私もストッキングはレクリエーションのようになっていると思います。しかし、こういうことはハラスメントと同様に、当事者がどう受け止めるかによるのではないでしょうか。この場合、当事者というのはもちろん利用者ですが、彼らには年齢相応の判断能力がありません…となると家族がどう思うかということになりますが、あの写真を家族に見せられるでしょうか?見せられないとしたら、虐待という言葉が適切かどうかは別にして、指導方法としてはやはり問題なのではないかと、私は鈴村さんから相談されて考え始めたのです」

「だとしたら小島くん、もう何年も続いているお仕置きについて、家族から一件の抗議もないことをどう理解すればいいのでしょう」

 前沢がうっかり司会者としての中立性を逸脱した。

 そして援護射撃のつもりの岸谷の次の発言が議論の方向を変えた。

「そもそも、施設内の出来事を家族に訴える言語能力は利用者にはありませんよ。それにストッキングの段階で行動を改めないと、次は体罰が待っていることを利用者は学習していますからね。お仕置きは逸脱行動を改めるためのけじめです。区切りをつけて集団の秩序に戻る儀式です。体罰を行わないためにも大変効果的な方法だと思います」

「え?ストッキングのあとには体罰が待っているということですか?」

 日が浅い郁代は体罰の現場を見たことがない。

「社会には罰があります。苦痛を伴わなかったら罰にはなりません。体罰につながっているからこそストッキングが意味を持つのです。鈴村さんや小島さんにその辺りの現実を理解して頂くためにも、しばらくお仕置きなしでやってみてはいかがでしょう?」

 神田由紀の好戦的な提案を市川所長が遮った。

「まあまあ結論を急がないで。私も鈴村さん同様、この春就任したばかりの新人所長です。現場の対応については全くの素人ですが、だからこそ、疑問に思ったことを臆せず発言してくれた鈴村さんの勇気には敬意を表します。しかし、長い歴史の中で現場が培った指導方法の蓄積も尊重すべきだと思います。ここはひとつ、漫然とお仕置きを継続するのではなく、その意義や正当性について考えながら一か月を意識的に過ごして頂いて、次回の職員会議で議論を深めて頂いたらどうかと思います」

 市川はここでも議論を先送りした。

 人は環境という水槽で泳ぐ金魚のような存在だ。水を一度に変えると金魚は死んでしまう。市川はそのとき、職場環境の改善に関する結論は先送りするのが賢明だという公務員の体質に完全に支配されていた。

前へ次へ