お仕置き(6)

令和05年11月08日

 モーニングサービスの時間帯は駐車スペースがないほど混み合う喫茶『ボン』も、仕事帰りになると客の姿はほとんどない。そこへ、それぞれ車で乗り付けた寺脇大輔、岸谷洋一、江口俊之、神田由紀の四人は、ナポリタンとオムライスの二種類しかない食事メニューから思い思いに注文して四人掛けのボックスに陣取った。

「おい、あの二人、付き合ってんのか?」

 開口一番、寺脇が言った。

「さあ…付き合ってるかどうかは分かんないけど、鈴村の指導担当になってから、確かに小島、変わったよな?」

 岸谷がそう言って神田を見た。

「接触が多いのは確かです。大学ではサークルも先輩後輩だったみたいですからね」

 三十歳を目前にして恋愛歴のない神田は、三歳下の小島と六歳下の鈴村が親密にしているだけで愉快ではない。

「鈴村は新人だから、組織のルールを知らないのはやむを得ないとしても、それを教えるのが小島の役割なのに、いきなり所長同席の会議で問題提起というやり方は穏やかじゃありませんよね」

 江口は寺脇と岸谷に対しては丁寧語を使う。三人共、八年前、施設が法人移管になった最初の採用組ではあるものの、主力職員として入所施設から異動した二人とは初めから対等ではなかった。その序列が、前沢、小島、鈴村と、社会福祉士資格を持つ者が採用されるようになって崩れ始めた。神田に至っては、大学を卒業したばかりの鈴村の発言に、自分の知らない専門用語を聞く度に、無資格の悲哀とは裏返しの、社会福祉士に対する敵意を感じていた。

「社会福祉士だか何だか知らないが。あいつら頭でっかちなんだよ。口を開けば人権、人権とうるさいけど、喧嘩を始めた利用者に人権だ人権だと叫んだって喧嘩はやめないぞ」

 実践で身に着けた指導力を自負しているだけに、寺脇は国家資格に対して否定的だった。

「社会福祉士ったって、五択で答える国家試験に通っただけのペーパー専門職ですからねえ。実技は素人です。そうですよねえ、江口さん」

「現場じゃ役に立たなくて、試験が済めば忘れてしまうような、薄っぺらい知識を丸暗記した、言わばクイズ王みたいなもんですよ。一応、受験資格には実習が必要ですが、うちに来る実習生を見ていても、わずかひと月間、利用者の様子を上っ面だけ観察して、理屈っぽい日誌を書くだけの毎日です。実習生にハードな現実は見せられないからって、表面的な体験しか提供できないこちらの事情でもあるんですがね。前沢さんは社会福祉士ですから、実習生の指導者として、さらに理屈っぽいコメントを日誌に書いて返していますが、あんなもんで現場体験したつもりでいてもらっちゃ困ります」

 江口が力説したところで、注文した料理が運ばれて来た。

 テーブルが賑やかになると、会話も賑やかになった。

「最近、意思決定支援とか言って、今日はどんな活動がしたい?どの服を着たい?なんて利用者に尋ねることになっただろ?あれだって人権尊重が目的だけど、現実的じゃないよなあ」

「忙しくてあんなことやってられませんよ。どうせ現場を知らない偉い学者先生が考えたことでしょう。利用者は尋ねられて困ってますからね」

「例えば利用者のIQが30だとしたら、五歳程度の知能ですよね。保育園なら年中さんです。そんな園児に時間をかけて何が食べたい?この服でいい?もうそろそろ寝る?なんて聞きますか?思春期までは人間になるための準備期間です。出されたものを残さず食べる、わがままを言わないで用意された服を着る、決まった時間に寝る。有無を言わせず基本的な生活習慣を身につけさせる段階です。人権だとか自己決定だとかは、準備期間が終わって、他人のことが思いやれるようになってからの問題だと思います」

「まったくだ、作業を放り出して遊び始めた利用者に、作業はもう飽きたのかな?今は何がしたいのかな?なんてやってたら集団の規律は保てないし、本人のためにもならない。第一、そんなことやるには職員の数が足りない。作業の時間は作業に取り組む。遊ぶときは遊ぶ。それを理屈じゃなくて生活の中で叱って教えるのがおれたちの仕事だよ」

「利用者の意思を軽視していいとは思いませんが、尊重し過ぎるとわがまま支援になりますよね。意思決定支援だなんて、さも何事かのように言わなくても、できるだけ利用者の気持ちを大事にしましょうね、程度でいいんじゃないですか?」

「わがまま支援はよかったなあ。確かに親が五歳の子の言うことを全部聞いてたら、わがままな小学生ができあがる」

「あれ?岸谷さん、もう食事、終わったのですか?」

 あっという間にオムライスを食べ終えた岸谷は、

「仕事が早い者は食事も早いんだよ」

 軽口をたたきながらマスターにコーヒーを頼んで、

「そうだ、江口」

 身を乗り出して大声で言った。

「来月早々に親睦会をやろうや。お前、幹事だったよな」

「え?私も幹事なんですけど」

 神田がナポリタンを食べる手を止めて答えた。

「懇親会かあ、いいなあ!」

 寺脇もコーヒーを注文して言った。

「会議で気まずくなった空気を修復するのですね?」

 江口が聞くと、

「バカ、少々羽目を外しても、酒の席なら許されるってことだよ」

 岸谷ではなく寺脇が答えてにやりと笑った。

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