お仕置き(11)

令和05年11月26日

 暑い暑いと言いながら寺脇と神田支援員に引率されて散歩班が帰って来た。

「あ!カレーだ!」

 匂いに敏感な手塚啓介が玄関に入るより早く叫んだ。

 手を洗うよう指示しなくても、みんな一斉に洗面所に向かう。

 食堂では既に手洗いを済ませた作業班、創造班、レクリエーション班のメンバーが、それぞれ一列に並び、食堂と厨房との境に設けられた四か所の受け渡し口で、トレーを受け取った者から順に定位置に座り、いただきますの合図を待っていた。

 すっかり落ち着いた若原耕平も新藤美晴も、何事もなかったように自分の席で背筋を伸ばしている。市川所長と藤村事務長は、検食という名目で、利用者より先に食事を済ませることになっているので姿はないが、食堂を兼ねた多目的室には利用者と支援員全員が集合していた。

「みんな揃いましたか?」

 カレーの匂いの立ち込める中で江口支援員の声が響く。

 全員が合掌して、はやる気持ちを抑えている。

「では、いただきます!」

「いただきま~す!」

 堰を切ったように、一日で一番楽しい時間が始まった。

 車いすの利用者は体を折り曲げ、ほとんど皿に顔をくっつけるようにしてスプーンを口に運んでいる。スプーンをうまく操れない利用者には支援員が寄り添って手伝っていた。

 食べる速度には個人差がある。利用者の場合、その差が著しかった。あっという間に掻き込むように食べ終える者もいれば、動作が遅く一口飲みこむのにひどく時間がかかる者もいる。食べ終えた利用者はトレーを返却口に返して十三時まで思い思いに過ごす。

 郁代の向かい側にいた菅原真由美がトレーを手に席を立った。

「ん?」

 テーブルを回って郁代に近づいて来る。

 郁代の背後を通って返却口に向かうつもりらしい。

「遠回りなのに…」

 と思った瞬間だった。

 郁代は、わ!と叫んで飛び上がった。

 その声に驚いて周囲の利用者が立ち上がった。

 どろりとした生暖かいものが郁代の首筋に注ぎ込まれ、背中をゆっくりと流れ落ちてゆく。

 振り向くと、菅原真由美が空になったカレーの皿を手に、照れくさそうに笑っていた。

「どうしてこんなことするの!真由美さん」

 と問い詰めるべき感情は、あまりの思いがけなさに輪郭を結ばず、郁代は混乱した笑顔を浮かべている。

「早くシャワーを浴びて、着替えて来てください」

 素早く駆け寄った魚住支援員が、空になったカレーの皿を真由美の手からやさしく取り上げた。

「カレーをかけろ!」「カレーをかけろ!」

 近寄って来た利用者の葛西利明が抑揚のない高い声で独り言のように繰り返している。

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