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お仕置き(12)
令和05年12月03日
背中にべっとりとはり付いたカレーをシャワー室で洗い流し、Tシャツと綿パンをざっと手洗いして、常備してあったジャージィの上下に着替えると、郁代の脳は完全に怒りの感情に支配されていた。体からカレーの匂いがするのではないかと気にするゆとりもなく、郁代は真っすぐに食堂に向かった。菅原真由美の記憶が新しいうちに話を聞かなくてはならない。まとまった言葉を発することのない真由美から何か聞き出せるとは思わなかったが、理由もなく背中にカレーを流し込まれて、そのままにしておくわけには行かない。
真由美は食堂ではなく、午後から参加するレクリエーションの部屋で平均台に腰を下ろしていた。赤いTシャツを着たおかっぱ頭の真由美は、二十二歳なのに中学生のように見える。並んで座っている魚住支援員が郁代を見て、
「大変でしたね、鈴村さん」
眉をひそめて首を横に振った。それだけで、真由美からは何も聞き出せなかったことが分かる。
「ただね…」
と魚住は声を落とし、
「私、利明くんの独り言が気になるんです」
と言った。
葛西利明には、これも障害の特徴なのだろうが、たまたま耳にした印象に残る言葉を機械的に繰り返す癖がある。真由美が郁代の背中にカレーを流し込むのを見てからというもの、歩いていても座っていても、利明は、カレーを入れろ、カレーを入れろ…と、抑揚のない声で繰り返しているのだという。魚住は周囲に目を配って小さな声で、
「利明くんは自発的に言葉を発することはほとんどありません。カレーを入れろという言葉をどこかで聞いたのだと思います」
衝撃的なことを言った。
「利明くんの活動班は確か…」
「散歩班です」
「真由美さんは?」
「やはり散歩班です」
引率をしていたのは寺脇と神田ではないか。
まさか…郁代の胸に忌まわしい想像が暗雲のように広がってゆく。魚住は、新たな犯罪の証拠を開示する刑事のような口調で、
「それにね?」
と顔を寄せ、午前中の若原耕平の発作についても、実は疑念があるのだと言った。
「耕平くんの場合、十以上の数を数えることはできません。そのくせ袋に詰めた割り箸の数をとても気にしています」
「知っています。だから耕平くんの席に一定数の箸が溜まると、本人と一緒に支援員が数を数え、本数を書いた紙と引き換えに、美晴さんの箱詰め作業に回すんですよね」
「それがルールです。つまり、耕平くんも美晴さん同様、自分の達成成果を数字で確かめて、工賃を楽しみにしているのです。ルール通りことが進んでいるときは発作は起きません。ところが今朝は、江口さんが数を数えずに耕平くんの箸をわしづかみにして美晴さんのところへ持って行きました」
それで耕平くんはパニックを起こしたのです…と聞いて、郁代は背筋に悪寒が走った。もう一度カレーが背中に流し込まれたような感覚だった。
「会議で対立があったと聞きました。懇親会でのビール事件も知っています。鈴村さんがいじめの標的になってるんじゃないかって、パート職員の間で噂になってるんですよ」
魚住が心配そうな顔をしたとき、午後の活動のチャイムが鳴った。
「実は私たちパート職員も、あの人たちの軍隊みたいなやり方には腹を立てています。利用者に対するだけでなく、私たちパートの職員に対しても見下したような態度ですからね」
できることがあったら言ってください。パートはみんな味方ですから…と小声で言って、魚住は作業班のフロアに向かった。
創造班に向かう郁代の心に、
「恐らく俺たちに対する寺脇の報復が始まる。郁代はまだ知らないけど、あいつはストッキングどころじゃない、とんでもない暴力を平気で振るえる男だ」
という小島直樹の言葉が呪いのように蘇っていた。