- ホーム > 令和6年の作品/目次 > お仕置き(21)
お仕置き(21)
令和06年01月04日
『不安障害で二週間の安静治療を要する』
郁代から診断書が郵送されたのは休み始めて四日目の午後だった。
「二週間!」
あすなろ作業所は大騒ぎになった。
「サビ管を入れてわずか七人の職場なんですよ。あとはパートさんが三人だけ。フェスタを控えて二週間も休まれたんじゃたまりません」
「まあ、しかし、診断書が出た以上どうすることもできませんよ」
「バイトですよ、バイト。せめて学生のバイトでいいですから二人ほど雇ってください。こういう施設は専門性以前に利用者を見る人数が必要なんですからね」
「みんな、二週間で済むと本気で思ってるのか?」
という大きな声は寺脇大輔だった。巨体が腕を組んでいる。
「不安障害ったって、要はうつ病だろ?うつは長引くぞ。鈴村は就職してまだ半年の新人だ。これからずっと周囲に迷惑をかけながら給料もらって休み続けるってのはどうなんだろうなあ…」
郁代の自殺に怯えていた寺脇は、生きていると分かって安心して攻撃的になっている。
「自主的に辞めてもらうことはできないでしょうか?」
思ったことをすぐ口にする神田由紀の発言に、
「まだ四日休んだだけですよ。診断は二週間の安静治療ですが、数日で出勤できるかも知れません。依願退職なんて話題は不謹慎ですよ」
さすがに前沢幹夫は同調しなかった。
「しかし、鈴村さんが休職している限り、新しい職員を募集することもできないわけでしょう?つまり一人欠員状態の職場を、残った職員で回すことになる。休みは取り難くなるし、仕事はきつくなる。次の体調不良者が出たら取り返しがつきませんよ」
神田同様、江口も容赦がない。岸谷も、まさかフェスタはおれ一人で準備するのか?と不満そうだった。
郁代に対する寺脇たちの嫌がらせを薄々知っている前沢としては、こんな事態を招いたのはお前たちではないかという強い反発を初めて感じていた。
鈴村郁代からお仕置きの是非について問題提起された恨みが、社会福祉士という国家資格に対する反感になり、資格を持たない支援員たちから機会あるごとに専門性を軽んじる発言が続いている。黙認してはいるが、同じ有資格者として前沢は決して愉快ではなかった。意見が違えばきちんと議論をすべきである。日常的に程度の低い攻撃を加えて、新人女性職員を職場から排除するなどという行動は、専門性以前に、人間として問題がある。いずれにしても病欠となれば所長に報告しなければならない。病名が病名だけに、郁代が不安障害になった状況についても知っていることは伝えておかないと、いずれ説明を求められるに違いない。
郁代はアパートの部屋で日記を開き、こもれびクリニックで受けた診察の感想を書き留めていた。小島が言う通り、クリニックの新藤真奈美医師は感じのいい女性だった。郁代の症状を聴きながら、絶妙なタイミングで状況に立ち入ってくれる。郁代の話に共感した上で関連した質問を繰り出されると、まるで呼吸をするように、事実も感情も言葉になった。そのことが思いのほか快感だった。郁代は憶測でものを言うことには抑制的な性格だったが、
「診察室は、レントゲンでは写らないあなたの心を知るための部屋です。憶測でも構いません。どんなことでも安心して気持ちを聞かせてくださいね」
新藤に穏やかな口調でそう言われると、背後にある寺脇たちの悪意についても率直に話すことができた。
「話を聴きながら記録を取るのは不正確になりますし、聴く側にも話す側にも負担になりますから、診察中の私たちの会話は録音しますね。もちろん内容は医師である私があなたの症状を理解するための手掛かりであって、誰かを責めたり、何かの証拠に利用するものではありませんから安心して何でも思ったことをお話しください。言わなきゃ良かったと思えば、そのこともおっしゃってくだされば、どこに躊躇や、こだわりがあるかを知る参考になります」
診察の冒頭でそう言われたことも郁代の気持ちを楽にしていた。ストッキングのお仕置きを虐待と指摘したことを契機に始まった一連の出来事と、中学時代に受けたいじめについて、新藤医師の質問に促され、反応に励まされ、行きつ戻りつしながらすっかり話し終えると二時間近くが経っていた。
「よく話してくれましたね。お疲れになったでしょう?」
新藤は心のこもった表情で続けた。
「感情は大変なエネルギーを持っています。サッカーで点が入ると、観客は全身で激しい喜びを表現しますね。社会から不当に扱われていると感じている暴走族は、とんでもない爆音で怒りを表現します。感情は外へ出たがるのです。ところが自分が意識したくない感情や、表現すると差し障る感情は心の内で内圧を高めて自分自身を攻撃します。身体的、精神的にどんな症状が出ても全く不思議ではありません。鈴村さんは診察でたくさん表現することができたので、かなり楽になられたのではないかと思いますが、うつ病は、お話になったこと以外…と言うよりも、お話になった一連の体験に関連して、成長の早い時期から意識下へ追いやっている、最も直面したくない感情が反応している場合が多いのです。これは話を聴く、つまりカウンセリングだけでは改善は望めません。何らかの行動が必要になりますが…」
しばらくは睡眠を改善しながら通院して頂いて、その時期が来たら一緒に取り組みましょうと、謎のような言葉で診察を締めくくった。そして、次回の診察ではソーシャルワーカーに会っていただきますと言ったあとで、
「診察の録音はソーシャルワーカーと共有しますが、今後、あなたが行動するためにどうしても必要なスタッフですから、ご承知くださいね」
と付け加えた。
郁代はうなずくしかなかった。