お仕置き(24)

令和06年01月12日

 翌日、共時性ということの不思議さを小島直樹も実感することになった。

『お渡ししたいものがあります。十二時四十分に北倉庫に来てください』

 パート支援員の魚住美沙からのメールに従って指定の時間に小島が倉庫に出向くと、魚住はチューイングガム程度の大きさの黒い録音機を手渡して、

「菅原真由美さんの上着のポケットに忍ばせておいたものです」

 と言った。

「鈴村さんの背中に真由美さんがカレーを入れた日から、葛西敏明くんが、カレーをいれろ、カレーをいれろ、と繰り返すのを聞いて、真由美さんに命令する誰かの言葉を聞いたに違いないと思いました。嫌がらせが目的なら一度で済むはずがないと考え、毎朝、真由美さんの上着の内ポケットに録音機を忍ばせて、帰りに回収していました。利用者にいじめをやらせるなんて卑劣なこと、私は絶対に許せないんです。やらされた真由美ちゃんが可哀そうで…。とにかく聴いてみてください。寺脇さんの声が日付別にしっかり収録されています」

 魚住は人目を気にしながら小さな声でそれだけ言うと、逃げるように階段を上がって行った。小島は忘れものでも取りに行くようなそぶりで駐車場に向かい、自分の車の運転席で録音を聴いた。

「真由美、カレーはうまくやったなあ!次は鈴村先生の靴を男のトイレに隠せ。いいか、男のトイレだぞ。分かるだろ?」

「真由美、今度は水筒だ、鈴村先生の水筒にこっそり醤油を入れろ、醤油は、ほら、ここにある。誰にも見つかるなよ、入れたら醤油の容器は分からないようにごみ箱に捨てろ」

「万一見つかっても、絶対何も言うなよ!黙ってるんだ。しゃべったら、ひどいからな」

 紛れもなく寺脇の声だった。周囲がざわついている。

「葛西くん、何やってるの、早くこっちへ来なさい」

 かすかに神田の声もする。時折自動車が通り過ぎる音がするところを見ると、やはり散歩の途中でこんなことを行っていたのだ。同様に傘や帽子を隠すように命令する声がくっきりと収録されていた。真由美の声はないが、寺脇自身が会話の中で相手が真由美であることをはっきりと表明している。郁代の胸を触れと前田道彦に命じる録音は残念ながらなかったが、これだけあれば十分だった。魚住の快挙だった。

 小島はすぐに前沢に連絡を取り、帰りに郁代のアパートで落ち合った。二日続けて、それも人目を避けるように集まると、まるで郁代の部屋はアジトで、三人は一緒に闘う秘密結社のメンバーのような連帯を感じる。

 改めて三人で録音を聞いた。

「ひどい…」

 想像も予想もしてはいたものの、実際に真由美に命令する寺脇の声を聞くと、郁代はたまらない気持ちになった。命じられて郁代の背中にカレーを流し込むときの真由美の気持ちはどんなだっただろう。男性トイレに靴を隠すときの気持ちはどんなだっただろう。郁代は激しく真由美を問い詰めたが、問い詰められた真由美はどんな気持ちだっただろう。やはり、真由美が一番の虐待の被害者だったのだと郁代は改めて思った。寺脇に力ずくで支配された利用者を前に、支援者である自分がくじけていてどうするんだと前を向く気持ちが郁代の心に芽生え始めていた。

「これで寺脇たちは逃れられないな」

 前沢は晴れ晴れと二人を見た。

「あとは写真ですね」

 小島はそれが気がかりだった。

「スマホの動画に取りこんだ駐輪場の映像を岸谷に見せると、予想通り真っ青になって、考えさせてくれと言ったから、明日までだぞと言っておいた」

 明日までに写真が出なかったら、被害届と映像を一緒に警察に届け出ると岸谷には伝えてある。岸谷は器物破損の容疑者として警察へ呼び出されて取調べを受けることになる。起訴、不起訴は別にして、警察から事実を知らされた所長は果たして穏便に済ますだろうか。

「今頃、岸谷は一人で思い悩んでいるでしょうね」

「そして、明日までに必ずLINEの写真が送られてくる」

 興奮気味の二人を前に郁代が言った。

「私、写真が出たら早速クリニックに行って望月さんに会ってきます。このまま録音と写真を所長に突き付けて、理由も判然としないまま寺脇さんが別の施設に異動になって幕引きだとすると、私はいったい何を行動すればいいんでしょうか?行動することでしか意識下の感情を克服できないと言われているんですよ」

 なるほど。郁代の言う通りだった。ここまで証拠が整えば寺脇を排除することは簡単だ。しかし、郁代を除いて解決を急いではいけない。これはあくまでも郁代の立ち直りのプロセスでもあるのだ。

「それじゃ明日写真が送られてきたら転送するから、この録音と、そうだ、駐輪場の映像も持って、ええっと、望月さんだっけ?クリニックのワーカーに相談するといい」

 岸谷に伝えた内容とは違って来るが、郁代の言う通り、所長一流の穏便主義によって、理由を明らかにしないまま、寺脇一人の異動で終わらせる問題ではないのかも知れない。菅原真由美も前田道彦も若原耕平も…いや、これまでストッキングを被せられた利用者全員が、職員による虐待の被害者なのだ。それを黙認していた前沢自身も責任の一端を担っている。

 録音を聞いて、隠然と暴力的な利用者支配が行われている実態をつぶさに実感した前沢も小島も、今回のことは、長年の職場の膿を出し切る機会にしなければならないと思い始めていた。そのためには、郁代自身が寺脇と立ち向かうという行動を起こさなくてはならないのだ。

前へ次へ