お仕置き(27)

令和06年01月19日

 郁代からの手紙を読んだ市川所長は前のめりになって前沢の意見を求めるかと思いきや、手紙と診断書を机に放り出し、背もたれに体を預けてため息をついた。そしてうんざりしたようにこう言った。

「ほら、案の定、病名がうつ病に変わりました。思った通りです。二週間の安静治療だったものが、二か月の療養治療ですよ。この種の病気は治療を始めたら長引くと決まっているのです。既に主治医がいて、治療が始まっているのですから、余計なことをしないようにと確か前沢くんに言ったはずですが、きみは彼女に接触しているのですか?」

 前沢のポケットでスマホの録音機能が働いている。

「職員の補充を求める声が強いものですから、私の立場としては、まずは鈴村さんの復帰を考えるべきだと思いまして…」

「それは分からなくはありませんが、二つの条件と言ったって困りますよ、この別紙に書いてある嫌がらせは利用者がやったのでしょう?特定の職員の命令があったと確信しているようですが、鈴村さんが確信しているだけでは謝罪も約束も難しいでしょう」

「ですから、この手紙を公開して職員会議で話し合ってみたらどうでしょう。案外名乗り出る職員がいるかもしれませんよ」

「それはどうでしょう。職員会議で犯人捜しのようなことをするのは感心しませんねえ。感情的な対立を生み兼ねませんからね」

「既に対立が存在するから鈴村さんは心を病んでいるんです。彼女も職場復帰を視野にこうして手紙まで書いて提案してるんですから、犯人捜しは別にして、みんなで受け入れ体制について考えるべきだと思います。このまま何もしなければ、彼女には戻る機会はありませんよ」

「フェスティバルはもう鈴村さんなしで準備が進んでいるんだし、ここで紛糾の火種を抱え込むのは得策ではないでしょう。そもそも、うつ病患者がこんな建設的…と言うより攻撃的な手紙を書くものでしょうか?私はこの文面を読んで、彼女の病名そのものが疑わしく思えてきましたよ」

「詐病だとおっしゃるんですか?」

「可能性は否定できないと思います」

「そうですか…」

 前沢は、望月の指示に従って、所長に証拠を提示しなくて良かったと思っていた。この所長は職場全体の改善など望んではいない。自分に責任が及ぶ証拠があれば、それを握りつぶして、寺脇一人の異動で口をつぐむに違いない。

「それより、前沢くん、今夜、所長として返事を書くから、ひとつ明日にでも鈴村さんに届けてくれませんか」

 所長はそう言って、翌日、前沢に次のような文面の手紙を手渡した。

『前略

 お手紙を拝読しました。鈴村さんに加えられた悪意ある行為の数々を知り、心労はいかばかりだったかと想像すると胸が痛みます。そんな状況でも一刻も早く職場復帰したいと願う鈴村さんのお気持ちには所長として心打たれています。復帰に向けて付された二つの条件は、鈴村さんとしては当然な要求だとは思いますが、残念ながら、利用者に嫌がらせを命令した職員の謝罪と今後の約束についてはご要望に沿い兼ねると思っています。鈴村さんが確信しているというだけでは特定の誰かを犯人扱いすることはできませんし、その段階で名乗り出ることを期待することもできません。職員会議を開けば、職員間に新たなストレスが生じ、良い結果になるとは思えません。

 そこで提案があります。謝罪も約束も私が所長として鈴村さんに対して行い、そのことを文書にして職員全員に配信するということではいかがでしょう。所長の謝罪と約束となれば決して軽いものではありません。もしも鈴村さんの言う通り、特定の職員が命じてやらせているのだとしたら、二度と同様のことは起きないと存じます。施設に足を運ぶのが負担なようであれば、どこか外に場所を設定し、私が出向いても構いません。謝罪も約束も書面でいいと仰れば、それも早急にしたためてお届けいたします。どうか無理をせず、かと言って長引けば遠のくばかりの職場復帰の機会を逃すことなく、お互いに良い選択ができればと存じます。手紙を前沢さんに託します。良いお返事をお待ちしています。

草々

○年○月○日

あすなろ作業所

所長 市川正義


鈴村郁代 様』

 前沢は所長の手紙を二部コピーして一部を小島に渡し、郁代には先にメールで知らせておいて、原本を郁代のアパートの郵便受けに入れた。

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