寛永20年(1643)米沢から来往し、安田組大庄屋となった太ヱ門安信を高祖とする。地主規模として明治初期の179町 歩から明治三十年代で1000町歩に急伸し、昭和初期に1226町歩と最高を数えました。 本宅は紫檀、黒檀、タガアサン材等を多用し、離れ別館は欅材が多用された総縁側の二階建てで昭和6年に完成しました。現在、本館は孝順寺の所有になり、寺院となっています。