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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第三十九回》ふるさとの文化財

    鈴法寺れいほうじ木額きがく
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成16年6月15日

    青梅市新町には、かつて、普化宗括総派の本山「鈴法寺」というお寺がありました。普化宗は、禅宗の一派で、唐の普化禅師を開祖とし、宗徒は虚無宗僧とよばれ、托鉢には尺八を吹くのを持色とし、弊衣へいいをまとい、菰莚こもむしろを持参して諸国を行脚したとされています。

    鈴法寺は廊嶺山虚空院と号し、比企群伊草村(川島町)から、慶長18年(1613)新町村の開拓者、吉野織部之助が開基となり、月山養風の中興開山により新町に移転されました。

    伽藍は本堂、客殿、薬師堂を構え、本尊は木造阿弥陀如来像。そして、本堂に掛けられていたものがこの「木額」です。縦56.5㎝、横162㎝、厚さ4㎝のケヤキの1枚板で福1.5㎝の縁取りが二段にされています。 表面には、「武叢禅林」と彫られ、表面には、「廓嶺山虚空院額歴世仍朽損再造・伝々」と74文字が記されています。内容は、本堂の額が朽ち損じてしまったこと。甲斐の国、乙黒という地の明暗寺の冠義という人が施主となり、同地成機山で伐採したケヤキで作ったこと。その由来を虚無僧の菅沼藤三郎源定功という人が彫って奉納したことなどが書かれています。

    現在この木額は東禅寺に保管ざれており、文化12年(1815)に鈴法寺のために作られたという由来や、鈴法寺唯一の遺物であることの重要性から、市の有形文化財になっています。

    普化宗は、明治4年太政官布告により廃宗廃寺となりました。また伽藍は諸説はありますが明治28年に火災により焼失し、現在、土地は鈴法寺公園となり、その片隅には歴代住僧の墓碑を残すのみとなっています。都営バス柳沢線梅70で「鈴法寺跡」下車です。

    市文化財保護指導員
    鈴木 晴也

    鈴法寺公園

    木額

    参考資料『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
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