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  • 更新日 2012年1月11日
  • 青梅だるま市の由来
    青梅だるま市の起こり

    青梅のだるま市がいつから始まったかについては確かな記録は残されていませんが、今からおよそ400年前の文禄5年(1596年・安土桃山時代)頃とも、およそ550年前の嘉吉鼻音元年(1441年・室町時代)頃に青梅で始まった六斎市(ろくさいいち)がその起こりといわれています。

    青梅の六歳市は毎月2と7の付く日(2日、7日、12日、17日、22日、27日)に青梅の町での織物を主とした物々交換の市でした。

    青梅の市は、正月の2日と7日は松の内ということで市が開かれず、正月12日に年の初めの市が開かれました。 そのときに、青梅周辺の産業の中心であった養蚕の繁栄を祈って、「まゆ玉」と言って米粉を繭の形に団子にしたものをつげの木(通称だんごの木)にいくつもつけたものが売られていました。

    そして、今からおよそ190年前頃より縁起物として「だるま」も売られるようになったようです。

    だるまが中心になる
    だるま

    昭和の中期までは、織物工場の機械の音が町にこだまし、多摩川では鮮やかな色の布をさらす風情が見られました。

    戦後、化学繊維にその座を奪われ、養蚕という青梅の地場産業は衰退して行きました。

    それに伴って昭和20年代の終わり頃より、「まゆ玉」はだんだんと姿を消し、露天とともに「だるま」だけが残り、「だるま市」として年の初めの12日を青梅の風物詩として残りました。

    今では「だるま」を買い求める人だけでなく、露天の風情を楽しみに大勢の方が青梅はもとより遠方からも訪れ、昔に変わらぬ賑わいをみせています。

    だるま市は東へ

    青梅のだるま市は、かつては青梅駅前の交差点あたりから西に向かって開かれ、本町では食べ物中心の露天も仲町へと西に向かうほど飾り物などの縁起物の店が増え、上町の現在の青梅市民会館のある付近から青梅坂下までに「だるま」を販売する店が並んでいました。 「上りだるま」と言って、なるべく上り(京都に近い方)で買う方が縁起が良いと言われました。

    近年、青梅街道のバイパスが市民会館下まで開通し、車両を規制するために「だるま市」は住江町から上町の東までの地区で行われるようになり、「だるま」も東西に分かれて売られるようになりました。 そのために、それまでだるま市の中心だった上町の大部分が、「だるま市」の範囲から外れ寂しくなっているのは残念なことです。

    最近では、古い「だるま」をどう処分していいかわからないという声に答えて、住吉神社の境内で古い「だるま」や御礼の「お焚き上げ」が行われ、甘酒も振舞われるようになりました。

    青梅だるま市保存会

    400年以上も続いた青梅の伝統文化を消してはならないと、「青梅だるま市保存会」がおよそ25年前に、商店会、自治会役員が中心になって発足しました。

    青梅だるま市は400年以上前から続く伝統行事であり、商店の軒先に「だるま」が並ぶなど、古い青梅の市の形を留めています。江戸時代から続く伝統行事も土日曜日に開かれることが多くなってきました。土日曜日のほうがよりたくさんの方に楽しんでいただけるとは思いますが、「青梅だるま市」は、青梅の市が開かれた日の12日に開催しています。

    「青梅だるま市」開催にあたっては、交通規制が行われ、周辺の市民の方々や青梅の町を通り抜ける方々には多大なご迷惑をおかけしています。

    保存会としては、市民の方のご理解をいただきながら、青梅の市の伝統を守るべく努力し、「だるま市」が今後も長く続くように頑張っていく所存です。 皆様の御協力をお願いします。

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