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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第六十回》ふるさとの文化財

    旧吉野家住宅きゅうよしのけじゅうたく
    【東京都指定有形文化財】
    掲載日 平成18年3月15日

    新町1丁目地内の青梅街道沿いに、都指定有形文化財「旧吉野家住宅」はあります。

    この地は、慶長16年(1611)に新田開発を志し、慶長18年から元和2年(1616)の3年間にわたって計画を実現した吉野織部之助が住んでいた所です。

    開村当時の建物は江戸時代末期に焼失したと伝えられており、現在の建物は、第9代文右衛門の妻かくの実家である三ヶ島村(現埼玉県所沢市)の名主守屋氏の住宅を譲り受け、移築したものです。

    嘉永4年(1851)11月に棟上げをした後、4年の歳月をかけて造作を行い、安政2年(1855)3月に完成したとあります。 その後、明治中期と昭和35年に改造・改築等が加えられ、青梅市に寄贈された昭和52年から昭和53年にかけて大規模な修理が行われ、現在に至っています。

    建物は、桁行20.3m、梁行9.09m、建築面積217.32㎡で、かやぶきの入母屋造りとなっており、屋内は、向かって右側が土間部分、左側が座敷などの床上部分となっています。

    また、この住宅は、代々名主を努めた家の特徴として、玄関と称される部屋には幕府の役人などを迎え入れるときにだけ使う「式台」があります。 この遺構からも、当時、名主は中央との結びつきのあったことがうかがえます。

    建物に織部之助の業績をはじめ新町村の由来に関連する事柄がよく残されていること、さらに、江戸時代末期の名主の家としての多室間取りを保有する遺構として貴重であることなどから昭和51年に都指定有形文化財として指定されました。

    旧吉野家住宅へは、都営バス青梅車庫~柳沢駅線「新町天神社」下車、徒歩1分です。

    市文化財保護指導員
    鈴木 晴也
      写真上
    大正時代の新町の様子

    左、吉野家の平面図
    【文化財住宅のしおりより】

    吉野家の正面図
    【文化財住宅のしおりより】

    桁行縦断面図
    【文化財住宅のしおりより】

    新町村屋敷割図(●印吉野家)
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