御岳山は文化財の宝庫です。国宝や重要文化財をはじめ天然記念物、有形無形の文化財が多数有ります。その中に神社には縁遠いと思われる経典の文化財もあります。これは中世のころより盛んになった神仏習合思想の名残りで、江戸時代中期ころまで御岳山にあった真言宗世尊寺の経典でした。この経典は大般若波羅蜜多経といい、600巻もの膨大なお経です。その最後の部分「奥書」が残っていて、そこに「武州杣保御岳金峯山蔵王大権現霊社大般若経云々」とはじまり、最後に「永和第四戊午十月廿五日直山叟 啓瑞 拝書」(永和四年・1378年)と書かれています。この大般若経残欠は市内の地名を記した最古の記録で市の有形文化財になりました。
さて、ここに出てくる直山啓瑞なるお坊さんですが興味深いことがあります。昭島市福島町に臨済宗の廣福寺というお寺があります。その寺の開山(最初の和尚)を直庵啓端といいます。また廣福寺の山号は金峯山といい鎮守は福島神社で、もと蔵王権現社といっていました。奥書の内容と似ているところがありますね。つまり、この啓瑞と啓端は同一人物ではないかという説です。東京大学史料編纂所より出版されている「大日本史料」には啓瑞は啓端として出ていますし、奥多摩町金御岳神社(現在は小河内神社に合祀)には啓端の書いた「蔵王大権現」の古額が現存しているといいます。この人物、ある時は神社の社僧、ある時は真言宗の僧りょ、はたまた臨済宗の禅僧、それとも全くの別人なのでしょうか?
大般若経残欠は現在、個人所有で一般公開していません。
|