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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第八十五回》ふるさとの文化財

    織★曼荼羅おのうまんだら
    ★の字は糸へんに南
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成20年4月15日

    応安2年(1369)、延命寺創建に際し、開山季龍きりゅう禅師は、自分の郷里である摂州の堺(大阪府)に鎮座する住吉明神を山門鎮護の霊神として勧請し、住吉山と号しました。その霊神を奉遷するに当たり、堺の住吉社の別当職であった良鎮りょうちん僧正から織★曼陀羅の霊像を証として授けられました。

    織★曼陀羅とは、本地ほんじ三十三たい観世音曼陀羅の掛け軸で、『ふるさとの文化財67』で紹介した『延命寺棟札』の表面の左側に「本地観世音菩薩」と記されています。

    中世の神道説において、佛や菩薩が衆生済度のために仮に神明となって現れる垂迹身すいじゃくしんに対して、根本の真実身である佛や菩薩を本地といいます。例えば、鹿島大明神の本地は十一面観音、熊野権現の本地は阿弥陀如来というように、住吉明神の本地は観世音菩薩です。

    織★曼陀羅は、縦223.8㎝、横92.9㎝の掛け軸で、三十三躰の観音菩薩が織り出されています。生地は、南方の熱帯地の特殊な植物繊維が用いられていると推定されています。

    曼陀羅の軸中には開山禅師御自筆添状(由緒書)や、文化3年4月ならびに大正4年7月における表装改修(修繕)に関する当時の住職と表具師の書き付けが残されていました。

    延命寺五世有堂ゆうどう禅師の代に青梅村十三戸の住民(代表者と思われる)により住吉明神を青梅村の総鎮守にすることを願われ、これを許諾し、三田弾正忠氏宗、その子政定および氏子の寄付によって社殿を築造し、初めて青梅全村の鎮守となりました。永正10年(1513)4月28日のことでした。

    織★曼陀羅は住吉神社の例大祭及び山車曳行の青梅大祭に合わせ、毎年4月28日より5月3日までの間、延命寺本堂にてお祀り(公開)されています。昭和43年11月3日に市有形文化財に指定されました。

    延命寺へは、青梅駅より東へ徒歩5分ほどです。

    市文化財保護指導員
    大久保 芳木
     参考資料
    『青梅ゆかりの文化財』より
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