掲載日 平成25年11月15日 |
領主が封建体制の経済的基盤確立のために土地を一筆ごとに測量することを 検地の結果を村ごとにまとめた帳面を検地帳または 天正18(1590)年、徳川家康は豊臣秀吉から関東八か国を与えられ、江戸に入りました。家康は大久保長安を検地奉行とし、慶長3(1598)年、青梅近辺の検地を行いました。それは、旧領主であった後北条氏が行っていた検地を踏襲するもので、土地の名称、面積、 代々旧沢井村の名主であった福島家に伝わる検地帳は、縦29センチ、横21センチ、和紙37枚の帳面で表・裏紙が欠落していますが、貫高を記載していること、検地役人名などから慶長3年に作られた検地帳と推定されます。 検地帳には、田畑の別、面積、 この検地帳から、当時の年貢高、年貢として納めていた物や現在は使われていない旧沢井村の小字名を知ることができます。 また、検地役人の黒印が押されている原本であり、実際に名主が保管して年貢徴収に用いていたものと思われます。 市内に現存する江戸時代以前の貴重な古文書として、昭和43年青梅市有形文化財に指定されました。 慶長3年以降、徳川幕府は 寛文検地帳は、明治維新を迎えるまでの200年間、土地基本台帳として使用され続けました。 慶長検地帳は個人所有のため非公開です。 | |
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市文化財保護指導員 小島 みどり | ||