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  • 更新日 2013年10月23日
  • 青梅市「広報」より
    《第百八十一回》ふるさとの文化財

    所領安堵市状しょりょうあんどじょう
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成28年4月15日

    所領安堵状しょりょうあんどじょうとは、中世から近世において、領主から領有する土地や所職の確認(安堵)を行う際、証文として発給された文書のことです。

    市内に伝わるこの古文書は、縦16cm、横46cmの大きさで、戦国時代(室町時代後期)、八王子市の滝山城主であった北条氏照ほうじょううじてる野口刑部丞秀房のぐちぎょうぶのじょうひでふさに宛てた所領安堵状です。野口刑部丞秀房は三田氏の家臣でしたが、三田氏滅亡後は北条氏照に仕えていました。

    文書には、師岡氏と共に御嶽山に籠城し、北条氏のために忠信を尽くした恩賞として、小曽木郷の代官職や、高麗郡平沢之郷・駒久野・丹三郎・横吹・下村屋敷・二又尾屋敷を安堵すると書いてあります。高麗郡平沢郷は埼玉県日高町高麗川付近、駒久野はおそらく市内駒木野の誤りで、丹三郎は奥多摩町丹三郎、横吹は市内二俣尾1丁目付近、下村は市内梅郷、二又尾は市内二俣尾です。籠城した「御嶽山」については、埼玉県児玉郡神川町の金鑽かなさな御嶽城であるとも、または市内御岳山であるとも言われていますが、詳しいことは分かっていません。年号は書かれていませんが、文書の内容などから天正8(1580)年ではないかと考えられています。

    野口刑部丞秀房は三田氏を弔うため位牌を作り、ゆかりの寺に納め、また徳川家康が市内武蔵御嶽神社の造営を行った際の造営奉行を務めるなど、江戸時代初期まで活躍した人物でした。

    この古文書は、中世における市内の地名が明記されていることや、北条氏の支配体制が分かることから、昭和39年市有形文化財に指定されました。

    所領安堵市状は個人所有のため非公開です。

    市文化財保護指導員
    小島 みどり
    所領安堵市状
    所領安堵市状(広報おうめより)
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