鹿島玉川神社(長淵2-519)は、境内が市の史跡、9月の例祭で舞われる獅子舞が市の無形民俗文化財に指定されていますが、本殿は都指定の有形文化財です。覆舎があり外側から見ることはできませんが、そのため雨風から守られ、江戸初期の素朴な社殿の姿を今に伝えています。
神社の創建は、承平年間(931 ~938 年)、武蔵介に任ぜられた源経基が武蔵国に下向した折、村人が神霊が宿ると畏敬する大きな神石の地に、常陸国鹿島神宮の神様を勧請してお祭りしたと伝えられています。慶安2(1649)年に幕府より朱印地2石8斗を受け、江戸時代後期に編さんされた新編武蔵風土記稿には鹿島社と記され、明治11(1878)年に現社名の鹿島玉川神社となりました。玉川は承応2(1653)年、玉川上水掘削に際し、無病安全を祈念し、玉川明神が祭られたことに由来するといわれています。
本殿は神社建築で最も多い一間社流造、間口が1.212m、奥行き1.091mです。流造は伊勢神宮に代表される神明造から発展し、正面の庇(向拝)が長く伸びた建築といわれ、棟から向拝に緩やかな曲線を描く屋根が一般的ですが、ここの本殿は棟からのやや急な傾斜と向拝の緩やかな傾斜が、直線的に木の板でふかれた板ぶき目板打という、都内でも数少ない様式で、近世初頭の神社建築を知るうえで貴重な建物です。
元禄2(1689)年、修理の棟札に、大工は海禅寺本堂も手がけた二俣尾村の福富市郎左衛門で、棟札裏には元和6(1620)年に修理された社殿を、それから70年後の元禄2年に修理したと記されています。このことから社殿修築の年代を知ることができ、棟札も指定の附として加えられています。
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