戦国時代に、関東地方の有力な戦国大名であった北条氏が、野口刑部の丞秀房の所領であった平澤(埼玉県日高市)の百姓へ宛てた朱印状です。
野口氏は代々三田氏の家臣でしたが、三田氏が北条氏に敗れてからは北条氏に属し、所領を賜っていました。
この古文書は、縦30.9cm、横13.7cmの和紙に書かれています。文書には、「未進之麦八俵、明日御陣着此迄、必々付可申、此上就致無沙汰者、足軽衆へ被遣候間、直ニ郷中へ指越、牛馬を可被為引者也、仍如件 戌六月五日 平澤百姓中」と書かれています。内容は、「未納となっている麦八俵を明日、着陣するまでに納めなさい。納めない時は、直ぐに村へ行って、足軽に与えるため、牛や馬を徴収してしまいますよ」というものです。
押してある朱印は、上部に虎の伏した姿が彫られ、その下は一辺が7.5㎝の方形で、中に「祿壽應穩」という文字が刻まれています。この虎の印は、北条氏当主が常に手元に置いた物と伝えられていることから、この文書は小田原城の北条氏本家から発給されたものと思われます。また、書いてある干支の戌から、年代は天正2(1574)年と推定されます。
江戸時代の幕府官撰地誌である「新編武蔵風土記稿」の「多摩郡三田領日向和田村」の項には、野口刑部秀房の子孫である百姓弥四郎について、「北条家よりの文書八通を所持す」と書かれています。そこには、文書が全て書写されており、この文書も含まれています。
三田氏旧臣であった野口刑部丞の子孫に、現在まで伝えられてきた中世文書として、大変貴重であることから、平成18年、市の有形文化財に指定されました。(個人蔵のため非公開)
問い合わせ 郷土博物館☎23・6859
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