平和教育

平成27年07月25日(土)

 今年も終戦記念日が近づきました。憲法学者たちが違憲だと表明しても、学者が国家を守るのではないとまで言い切って、憲法改正という困難を避けたまま、安保法案の議論が続いています。

 国民も危機感を感じているのでしょう。平和教育の一環として、各地で中学生を対象に、戦争体験を話して聞かせる催しが開かれています。敗戦から七十年が経過したということは、玉音放送を二十歳で聞いた人は九十歳になりますし、十五歳で終戦を迎えた人は八十五歳になるわけですから、自分の言葉で戦争体験を語ることのできる人は、歴史の貴重な生き証人であることに異論はありません。

「逃げ込んだ防空壕という穴の上に、飛行機の爆音が近づいたかと思うと、ダダダダッという音が遠ざかって、恐る恐る壕から出ると、逃げ遅れたおふくろが穴のすぐ近くでうつ伏せになっとった。背中と頭の後ろに弾が当たっとって、仰向けにすると頭の弾は左目に抜けとった。即死やった」

「照明弾には一つ一つ落下傘が付いとるんやな、夜の町を昼間のように照らしながら、ゆっくりと落ちて行く様子は、これから恐ろしいことが起きると分かっていても、思わず見とれてしまうほどきれいやった。敵の飛行機は、明るうなった町に狙いを定めて、たくさんの焼夷弾を落としよる。焼夷弾いうのは、地上に火のついた油をまき散らす爆弾やからな、木と紙でできた町は、またたくまに火の海や。焼け死ぬ者、巻き上がる炎で喉を焼いて死ぬ者、煙を吸って悶え苦しむ者。まるで地獄のような町を、われ先に逃げ惑うのは兵士ではないんやで。大半は女と年寄りと子供なんや」

 聞かされるのはたいてい被害者の立場での戦争体験ばかりですが、私は学生時代に、屋台のおでん屋で、へべれけの年寄りから加害者としての体験を聞いたことがあります。

「何しろ戦地では、自分たちの食い物がないんやからな、捕虜を生かしておく食糧はあらへんがな。仕方ないから捕虜たちに穴を掘らせて、穴のふちに全員正座させて、後ろから日本刀で首をはねるんやけど、うまく切れへんときがあってな、今でも刀が首の骨に当たる感触が、夜中に突然よみがえることがある」

 あんなひどいことしたんやさかい、俺はどんな死に方をしても文句は言えんなあ…とコップ酒をあおる年寄りの、罪びとの様な目を、私は今でも思い出すことができます。この種の話しを二つ三つ聞かせ、火炎放射器で火だるまになって穴から走り出る兵士の映像の一つも見せれば、中学生たちは間違いなく戦争を憎みます。そして感想文には、

『私たちの平和な生活を守るために、絶対に戦争をしてはいけないと思います』

 一様に判で押したような文言が綴られるのです。しかし…と、この頃私は思うのです。これで本当に平和教育になっているのでしょうか。戦争はいけない…。戦争は悲惨だ…。暴力はいけない…。話し合いで解決すべきだ…。そんなことは誰だって分かっています。問題は、それでもわが国は、なぜ連合国を相手に無謀な戦争に突入して行ったのかという理由ではないでしょうか。