平和教育

平成27年07月25日(土)

 いま一つは、組織が意思決定を行うためのシステムと、それに参加する際の個人の心理についてです。明治維新を成し遂げて、奇跡のような近代化を達成した明治政府は、昭和政府に引き継がれた頃には、無謀にも米英という国力の全く違う大国に宣戦布告をするに至る一連の組織決定を積み重ねてしまいました。国家元首である天皇の名の下に行う政府の意思決定と、同じ天皇が大元帥の名の下に行う軍の意思決定の二つのシステムが、一つの国家の中に並存していたことか最大の不幸でした。例えば先進国の間の軍備のバランスについて、政府が国際的な約束を取り交わしても、それでは国は護れないという焦りと同時に、自分たちの権益が縮小されることを良しとしない軍は、真っ向から政府に反対して約束を破棄させました。有力全国紙に煽り立てられた世論が軍を支持していました。その後は、国内では穏健政治家を粛清する一方、中国大陸では勝手に事変を起こしたり、傀儡国家を樹立したりして、国際的に孤立した状態で敗戦まで突き進みます。刻々と変わる戦況に現地で対処する軍の行動を、政府は追認するしかありませんでした。

 あからさまに二つの意思決定システムを内包する組織はないでしょうが、例えばいじめの取り扱いを巡って、教育サイドのトップである校長と、運営管面のトップである事務長が対立すれば、方針の一致を見るまでの時間的ロスが情報公開と謝罪の機会を逸し、学校はマスコミの猛攻にさらされます。例えば、医療ミスの取り扱いを巡って、治療面のトップである院長と、経営部門のトップである事務長が対立すれば、ミスを認めて謝罪するか隠蔽するかの判断が遅れ、やがて病院は世間の耳目を集めて、法廷に立つことになるのです。平時の意思決定は容易です。期限の迫った危機に直面し、内部で深刻な意見の対立を抱えたときに、合意を得るために決断の時期を逸してしまう組織であっては困ります。あるいは時期は逸しなくても、決断したあとも意見の対立がくすぶり続け、組織の決定に従わないグループが存在するのも困ります。つまり、近くは家族、地域、学校や会社から、遠くは地方自治体から国家に至るまで、組織が意思を決定するシステムは、硬直し過ぎても柔軟過ぎても適正に機能せず、聡明であるべきとしか表現の仕様がないのです。聡明さは、失敗の原因をしっかりと検証し、責任を取るべき人が責任を取るという体制の中から学習して行くしかありませんが、責任を曖昧にしておきたい私たちの傾向が学習を困難にしている点も見逃さないようにしなければなりません。

 一方、組織の意思決定とは言っても、現実に話し合いの場に意見を持ち寄るのは個人です。その個人が、組織の目的より個人の目的を優先させたとき、意思決定の方向は大きく歪みます。強力な海外の競争会社の参入が決まって、主力製品の売れ行きは鈍化することが分かっていながら、生産拡大派の幹部上司に嫌われたくなくて、相当数の部下が新工場設立に賛同したために、数年もたたないうちに会社の経営が傾いたような例はたくさんあります。利用者に対する介護職員の虐待を隠しておきたい理事長の意向に沿って、施設長以下組織ぐるみで隠蔽に加担した結果、家族からの通報で事実が明らかになって、致命的な信用失墜を招いた福祉施設も少なくありません。いずれも本来の組織目的より、組織内における自らの評価や栄達を優先させた結果です。

 どんなに病気を忌み嫌っても、食生活や運動に気を遣わなくては健康は維持できないように、戦争反対を叫ぶだけで平和は維持できるものではありません。経済や国家運営に関する不断の努力と選択の上に平和はかろうじて成立しているのです。中学生の日常に置き換えれば、クラスで起きているいじめ問題が、国家の危機に相当します。難しい問題だ、デリケートな問題だ、保護者に知らせるのは早計だ、加害者を明らかにするのは得策ではない、担任の段階で解決しなければ評価が下がる…と、先延ばしにしないで、きちんと向き合い、話し合い、クラス全体で解決する態度を涵養することが、将来の国家の平和を担う国民の養成につながって行くのです。

 問題を直視して真摯に議論のできる国民を育てること…。迂遠に見えて、実はそれが最も堅実で実質的な平和教育なのではないでしょうか。