平和教育

平成27年07月25日(土)

 一つは経済です。一国だけでは完結しなくなった経済システムは、国家同士の相互依存を深め、ちょうど巨大な時計細工のように、小さな歯車の歯が一つ欠けただけでも、全体が動かなくなってしまう脆さや危うさを持っています。石油の輸入が滞れば、輸送が止まり、火力発電が止まり、製造機械が止まり、暖房が止まり…我が国の経済の歯車は次々と動きを停止して、国民生活が破綻する現実を想像する力を持たねばならないのです。その上で、どこの国との関係を大切にしなければならないのか、原子力発電をどうするのか、食糧の自給率はどれくらいにするのか、主食の米まで、広大な農地を持つ外国との自由競争にさらしてもいいのかなどなど、考えなくてはならないことがたくさんあります。飢えた個人が犯罪に手を染めることがあるように、経済的危機に陥った国家も、あれこれと理屈を設けて他国の利権を侵害する可能性があることは、歴史的にわが国が当事者として経験したことです。公平な司法機関によって平和的な解決が可能であればよいのですが、国家間の紛争を強制力を持って裁く仕組みは、残念ながら現在の国際社会にもありません。市民の安全を守るために、銃を持った警察官が必要であるように、国家を護るためには軍隊が必要なのでしょうか。必要だとすれば、どれくらいの規模で、どの範囲の活動を認めるべきなのでしょうか…。そもそも石油の出ないわが国に、長期に単独で軍隊を動かす条件があるのでしょうか。どれもこれも長い間、政治を苦しめている難問ばかりです。中学生に答えが出るはずはありません。しかし政治は評論とは違います。大変難しい問題ですので慎重な議論が必要ですなどと、先送りする訳には行きません。真夜中に台所から火が出て、幼い兄弟が二人、二階に取り残されたような場合、兄弟どちらを先に連れて逃げるべきかを、父親は瞬時に判断しなければなりませんが、政府も同様に、差し迫った政治課題に対して一定の期間内に何らかの結論を出さなくてはなりません。高度に政治的問題であればあるほど、また複数の国家の利害が絡み合っていればいるほど、誰もが納得する結論が見つかるまでじっくり議論を続ける時間的ゆとりはないのです。つまり政治は、正しい答えを追求しながらも、時期を逸しないで敢然と決断をしなければならないのです。平和な国民生活を維持しようとすれば、戦争の悲惨さだけを認識するだけでは不十分です。昭和の初期に、マスメディァを筆頭に不和雷同して、世論という名の、偏った政治環境を作り出した過ちを繰り返さないためにも、グローバルな経済システムの中で国民を食べさせて行くための国家の舵取りが、いかに多面的で困難な作業であるかということだけは認識していなければならないと思うのです。