ロボフィッシュ

平成28年08月27日(土)

 水槽を眺めながら食事をするようになってから一週間も経たないというのに、赤いメダカが一匹死にました。プラスチックの水草が良くないような気がして、本物のホテイアオイを買って来て浮かべた翌朝、赤いメダカがさらに一匹死にました。ペットショップのお兄ちゃんの助言で、バクテリアを繁殖させるボールを投入したところ、水は明らかに浄化しましたが、三日後、そのボールにへばりつくようにして赤いメダカが一匹死んでいました。

「おい、また死んだよ…」

 朝食のテーブルで嘆く私に、

「何よ、ジャコ食べながら」

 妻はそう言って笑いますが、餌を与えて飼ったメダカは、食用のジャコとは違います。

 残ったメダカは七匹…。ネットで調べると一匹当たり一リットルの水が適量とありました。水槽のサイズにしては十匹のメダカは過密に過ぎたのかも知れません。私はためらわず隣の水槽からロボフィッシュを取り出しました。球体の水槽に濾過装置はありませんから、酸素供給目的の水草を多めに入れました。白砂の上にビー玉を敷いて水を張り、バクテリア繁殖ボールを投入したところへ四匹のメダカを移しました。広々とした水槽をのびのび泳ぐメダカたちに席を譲った二匹のロボフィッシュは、電池を抜かれてキッチンのカウンターに横たわりました。


 それから二週間…。結局は日中の水温が高いのでしょうか、二十年前の熱帯魚と同じでした。メダカたちは一匹、また一匹と浮いて、最後の一匹はホテイアオイの根にからまるように死んでいました。考えてみれば水槽どころか、私も含めた生きものはみな「死」という器に入っているのでした。泳ぐめだかを眺める楽しみは、死んだメダカを発見する悲しみと背中合わせでした。無心に生きるメダカの姿に感じる健気さは、それが突然終わるはかなさを知っているからこその感慨でした。今回のメダカ騒動の場合、無性に生き物を飼いたくなった衝動は、どうやら私の老いと関わりがあったようです。

 空になった球状の水槽に、再び電池を装着したロボフィッシュが復活しました。しかし、餌も食べず、死ぬこともないロボフィッシュを眺めながら、私は、生きものが生きているという事実だけで持っている、はかなくも圧倒的な力について改めて思いを巡らしているのです。