優しいバリア

平成30年05月25日(金)

 自分が進行性の難病に罹患したと想定してみましょう。治療のために仕事を休む心苦しさや、その延長線上に見え隠れする解雇に対する怯えや、医療費の心配、家族に迷惑をかけまいとする心理的負担、進行して行く病状に対する不安や、死の恐怖…。所得保障や医療保障だけでは解決できない難病患者の様々なニーズについて、

「さあ、当事者になったつもりで、患者を襲う様々な困難について発言して下さい」

 教員は学生たちに、ありったけの想像力を動員して考えさせたいのですが、

「私の友人に難病で長年苦しんでいる人がいます。彼のことを考えると、先生の質問は大変デリカシーに欠けていると思います」

 と抗議されれば、そこから先へは進めません。

 幼児をかかえてDVの夫と離別した若い母親が直面する社会的、経済的、心理的、或いは養育上の困難について、できるだけリアルに想像してもらいたくて、

「あなたが結婚した相手から暴力を受け、幼児をかかえて離婚したとしたら、さあ、どんな生活上の現実に直面するでしょうか?」

 と質問をしたとしても、

「私の姉はDVの夫に苦しみ、裁判までして別れました。実家に身を寄せていた姉の苦悩は、当然、家族も共有しました。今の質問で忘れていた心の傷が広がりました。先生の質問は余りにも配慮に欠けていると思います」

 という反発に出会えば、私は謝罪しなければならないでしょう。しかし私たちは、言葉を発するときに、その発言で傷つく人の有無について、そんなふうに気を遣わなくてはならないのでしょうか。

 戦中は、政府を批判するような言論は厳しい取り締まりを受けました。「この戦争は無謀だね」などとうっかり言おうものなら、思想犯として逮捕され、拷問を受ける可能性がありました。国家によって言論の自由が制限された姿です。マスコミも一丸となって国家の言論統制に従いましたが、国民もわきまえていて、国家体制を批判するような言動は慎みました。それどころか、他人の言動をチェックして批判の対象にしました。体制の方向を読み、その流れに機敏に乗る姿勢が、自分を護ると同時に、時代の最先端にいるという安心感を形成していたのです。やがて国民は窮屈な戦時下の政治体制から解放されました。自由を手にした国民は、あんな時代は二度とごめんだとばかり、平和憲法を尊重し、言論の自由に代表される基本的人権について高い見識を持ちました。いえ、持ったつもりでいたのです。しかし、社会保障の授業で私が行った一般的な質問に対し、そんな質問は人権問題だと言わんばかりの抵抗を示す学生の心底には、常に弱い立場の者の心情に配慮した言動をしなければ容認しないという、教条主義的で居丈高な姿勢が潜んでいます。そこには方向こそ違え、反国家的な言動を無批判に糾弾した戦中の国民の態度と同じ水脈を感じます。

 考えて見れば、セクハラやパワハラやマタハラに対する病原菌のような扱いにも同様の性癖を感じます。卑猥な冗談で酒席を盛り上げる男性に対し、

「もう…係長ったら酔うと本当にいやらしいんだから、いい加減にして下さい」

 と直接たしなめる代わりに、こっそりと録音し、匿名でセクハラ委員会に送りつける行為には、不寛容で悪意に満ちた攻撃性を感じます。

 結婚式の司会のプロがしみじみと述懐していました。

「つい何年か前までは、花婿花嫁にお子さんは何人欲しいですか?と当たり前のように聞いていましたが、新郎新婦の方から子どもの話題を言い出さない限り、司会者からは切り出せなくなくなりました」

 結婚は必ずしも子孫を残すことを目的にしていないとか、結婚したあとで、不妊症であることが判明するかも知れないとか、披露宴会場には子どもが欲しくても授からない夫婦がいるかも知れないとか、言い出せば切りがありませんが、うっかり司会者の側から先に子どもの話題を切り出そうものなら、無事に披露宴が終了したあとで式場に匿名の苦情が入って、司会の依頼が途絶える可能性もあるのです。

 危険思想の持ち主を権力に通報する暗黒の時代に似ていると思いませんか?

 そんな風潮について、半ば愚痴のように友人に話をすると、同調されると思いきや、

「時代だよ、時代…」

 彼の職場でも、うっかり部下を𠮟れないと言うのです。

「パワハラを受けましたって訴えられたら、事実無根であっても組織人としては相当なダメージを受けるからね」

「やっぱり相手はその場では抗議しないんだ…」

「申し訳ありません…済みません…っておとなしく叱られていて、あとから人事課に、うつ病の診断書を提出しかねない」

「叱り方が不適切だったという証拠はなくても、それで傷ついてうつ病を発症したという診断は確かに重いからなあ」

「上司にきつく叱られて以来、動悸がして眠れないという症状を訴えて精神科を受診すると、簡単にうつ病の診断が下りるからね。ま、症状があれば病名をつけて治療するのは医者の仕事だから、当然といえば当然だけど」

「時代かあ…」

 と言いながら暗澹たる気持ちになりました。