雨の高知

平成30年09月14日(金)

 高知駅では、坂本竜馬を真ん中に、武市半平太と中岡新太郎の三英傑の大きな銅像が、並んで背中を雨に打たれていました。時刻は三時を過ぎています。バスに乗って桂浜に行くには時間がありません。かと言って、雨の中、市内散策もできません。七時間かけてようやくたどり着いた高知です。このまま名古屋に引き返せば、事故渋滞がなくてもさらに六時間はかかると思うと、とてもそんな気力はありません。明日の列車の切符は既にポケットにあるのです。今日は不通でも、明日は運行しているかも知れません。幸いホテルは名物の日曜市の並ぶ目抜き通りにあって、「ひろめ市場」までは徒歩でわずか五、六分です。とりあえずはホテルの部屋に荷物を置き、上着も脱ぎ、財布だけの身軽な格好で私は市場に向かったのでした。


「ひろめ市場」は不思議な空間です。高知城のふもとの四千平米という広大な敷地に、七十店舗もの飲食の屋台が迷路のようにひしめき合っていて、「お城下広場」「自由広場」「竜馬通り」「いごっそう横丁」などとゆかしい名前の付いたスペースに、しっかりした厚みの木製のテーブルが間隔狭く並んでいます。基本的に八人掛けのテーブルは、空いている席に座ったとたんに、ご近所同士のような親しさを感じて、他人に対して抱く緊張感も警戒心もすっかり脱ぎ捨ててしまっている自分に気付きます。飛び交う大声の大半が高知の言葉であるところを見ると、客は地元の人が中心で、朝七時から営業する市場では、驚くべきことに様々な年齢層の男女が明るいうちからアルコールを飲んで談笑しています。やって来たグループは、まずは人数分が座ることのできるテーブルにハンカチやタバコを置いて席を確保すると、思い思いの屋台に散って、一皿五百円程度の料理と飲み物を持ち寄ります。並べられた料理はメンバーでシェアしますから、六人が一品ずつ持ち寄れば、六品の料理が楽しめるのです。市場には全体の食器を回収して洗浄する専門のスタッフが何人も配置されていて、器が空くのを見計らってはワゴンに入れて運び去りますから、客が食べ散らし、飲み散らしても、汚れた食器がテーブルに散乱することはありません。料金は屋台で購入時に現金で支払いますから、伝票もなければ食後にレジに並ぶ必要もありません。実に画期的なシステムに支えられて、限りなくアジア的なカオスの世界が展開し、個人情報だ、守秘義務だ、パワハラだ、セクハラだとやかましい現代社会に疲れた人々に受け入れられています。市場と言うと露店を想像しますが、二階と三階に二百台近く収容可能な駐車場を備えた巨大な建屋になっていて、雨の影響を受けません。仄聞すれば、駐車場の収益があるために出店の費用が格安に抑えられて、店側の活気に貢献しているようです。


 土曜日ということもあって、雨にもかかわらず、私が「ひろめ市場」に入った午後四時には、空席を探すのが難しい混雑ぶりでした。それでも数人の若い男女が陣取っているテーブルに空きを見つけ、

「ここ、いいですか?」

 折り畳んだ傘を置いて席を確保し、有名なかつおのたたきと、アオサの天ぷらと『酔鯨』という日本酒を買ってテープルに戻りました。さすがに若い男女の会話には加わりませんでしたが、

「高知、いいところですね」

 と一言声をかければ簡単に仲間になれそうです。

 現に隣のテーブルでは、三十代と思しき男女四人の高知人と、たまたま同席した南米系の男性二人が、高知弁と、不正確な日本語で盛んに交流し、時折弾けるように笑ってはジョッキを掲げています。後ろのテーブルでは、同級生なのでしょう、鼻を真っ赤にした同じくらいの年齢の男ばかり六人が箸を振り上げて、人間は年金に頼らず、体が動く間は働くべきだと気炎を上げています。その隣では懐具合の悪そうな前歯のないおばちゃんが、一品の料理もなしに徳利を傾けています…と、

「ここ、空いちゅう?」

 おばちゃんの向かいの席にどかりと座った髪の毛のないおっちゃんが、

「よかったら食いや」

 自分の買って来たおでんを勧めて、傍目には夫婦のように見えました。

 とにかく高知の人は大きな声でよくしゃべり、よく笑います。そして人と人の垣根が低いのです。それが、「ひろめ市場」という場所に負うところが大きいとしたら、この仕組みを考え、資金を調達し、運営している人物こそ、竜馬の魅力に通じる人であるに違いありません。

 わずか一合の酒に、珍しくいい気持ちに酔いました。率直な人間模様を眺めながら、感情を殺さずに飲めば、案外一合の日本酒でこんな気持ちになるのですね。そして、都会で一定の栄達を果たし、そこそこの年収を得て、年に数度、夫婦で一流レストランの高級料理を楽しむよりも、こうして知らない人たちと安酒を酌み交わす日常の方が、人間の暮らしとしては本来なのではないかと思ったりするのです。