心理的二重構造

平成30年10月30日(火)

 天皇が自らの意向を表明して退位が認められ、やがて年号が変わります。皇室典範には天皇の退位に関する規定がありません。天皇が退位の意向を述べること自体に政治色があるとして、憲法上の問題も指摘されました。当然、有識者の賛否は分かれましたが、法治国家としては、退位は制度上想定されていないという理由で拒否すべきところ、結局は特別法を制定して天皇の退位が決定しました。政治的な存在からは離れた存在であるはずの象徴天皇ですが、一人の人間として国民に向かって意向を述べれば、新たな法を作ってでも叶えてしまうところに、日本民族の心底にある天皇に対する特別な感情を見るような気がします。もしも政府や国会が天皇の意向に反して退位を拒絶した場合、「年齢的に公務はしんどいとおっしゃってるんだ。認めて差し上げたらどうなんだ」といったレベルの国民の反発は、選挙結果に影響するほどの力を持つかも知れないと思います。

 天皇制…。いにしえには紛れもない権力者であった天皇が、歴史的変遷の末、権力を承認する「権威」として存在しています。国内で複数の勢力が覇を競うような事態に立ち至ったときは、天皇の承認を得た者が正当性を持ちました。天皇の意向には絶対的な敬意を払うという不文律の国民的合意が、結果的に内紛を最小限にとどめる機能を果たして来たのです。民主主義国家となった現在でも、政権を担う者は形式的にせよ天皇から任命を受けることになっています。

 古くは薩長が倒幕の詔勅を手に入れ、戦場に錦旗を掲げなければ、大政奉還も江戸城無血開城も、廃藩置県も地租改訂も成らず、この国は、当時の中国のように、内乱に乗じた列強に蚕食されていた可能性が否定できません。近くは太平洋戦争の末期、降伏の二文字を口にすれば、非国民として国内でたちまち制裁を受けかねない空気の中で、民族の存続をかなぐり捨てて一億玉砕を決意していた国民を救ったのも天皇の決断でした。天皇自身の決断であったかどうかは別にして、天皇の詔勅という意思表示によってしか時局の転換は困難だったように思います。その後、敗戦の屈辱に耐えかねて自刃した例はあっても、国民の意に反する詔勅であるとして、国家的規模で天皇を糾弾する暴動が起きたという話を聞きません。つまりは、一億玉砕も敗戦も、主権者である天皇の意思となれば従うという心理的風土が国民の側にあるのでしょう。別の見方をすれば、国民の意のあるところを汲んで意思決定をするという深慮が天皇の側にあるとも言えそうです。あるいは、組織決定という手続きの硬直性ゆえに、政府の決定が国家を危うくする状態で抜き差しならないような場合には、別の政治勢力の台頭による暴力的な政権交代ではなく、伝家の宝刀のように天皇の権威を作動させるという知恵を、民族として有しているとも考えられます。象徴天皇となって政治的権限を失った新憲法下であっても、国家の進退が窮まった場面では、超政治的な説得力を有する存在として天皇制を維持しているのだとしたら、皇室の権威を保つための国費の支出には、保険料のような意味で合理性があるのかも知れません。いずれにせよ権威と権力の二重構造が、長期間、自然な形でこの国の政治基盤を形成しています。そして、ここからは多分に妄想に近くなりますが、二重構造を所与のものとして受け入れている国民は、本音と建前の二重構造についても受け入れやすい体質を有しているのではないでしょうか。

 最近は大手企業が品質検査のデータを改ざんする不祥事が続いています。KYB、旭化成、三菱マテリアル、日産、スバル、スズキ、神戸製鋼、東洋ゴム、東レ…と、枚挙にいとまがありません。昔から物作りだけは定評のあった国だけに、民族が劣化したのではないかと心配する声もありますが、果たして昨今始まった劣化の結果なのでしょうか。私にはそうは思えません。前述したように、日本民族の深層心理には、平たく言えば、本音と建て前の二重構造があって、公が定めた「基準」を尊重しながらも、それとは別に仲間内だけの本音の基準に従って恥じるところのない、良く言えば柔軟性、悪く言えばアジア的狡猾さがあるように思います。品質データの改ざんと言うと聞こえが悪いですが、あくまでもおおやけの基準は遵守した体を装って、実際は現実的な基準に従っていたというのが実態なのではないでしょうか。改ざんは、私利私欲のために基準を無視する悪意に満ちたものというよりは、現場の技術者が判断した許容範囲内の逸脱であるために、実害が発生して原因を追究したら品質の改ざんであったという例は、決して多くはありません。改ざんした側の反省の弁も、責任を痛感しているというよりは困惑に満ちた印象であり、ユーザー側の怒りも被害に見合う激しさではありません。マスコミも、新しい事件を追いかけるのに忙しく、改ざん発覚当初の熱意は短期間で冷めて、改善の進捗を執拗に追いかける気配はありません。いじめや虐待の件数が増加しているのと同様、改ざんは増えたのではなく、明るみに出て来るようになったのではないでしょうか。これまで組織ぐるみで隠ぺいされて来た二重構造の存在が、会社への帰属意識の希薄化を背景に、不満分子による内部告発という形で表面化しているのではないでしょうか。希薄化をもたらしているのは、派遣労働であり、有期雇用であり、容赦のないリストラであり、業務委託という名の被支配労働者との同居であるのは言うもありません。