聴海の運命

作成時期不明

 殿さまは濡れ縁にどっかりと腰を下ろしました。数人の家来たちが遠く聴海を取り巻くように控えて居ます。聴海は得たりとばかり慣れた手つきで準備を整えると、例によって巨大な数珠をこすり合わせながら朗々と怪しげな呪文を唱え始めました。

「えい!」

「えい!」

 という気迫のこもった聴海の声に驚いて池の鯉が何度か水しぶきを上げました。

「申し上げまする」

 聴海はかねて考えていたとおり、晴れやかな顔で言いました。

「お喜びくださりませ。この戦乱の世を見事統一なさるのはお殿さまであろうという天の声でござりまする」

 聴海は胸を張りました。ところが、

「あっぱれ聴海、よく申した!」

 という声が返って来るかと思っていた聴海の予想を裏切って、殿さまは不機嫌な顔で立ち上がると、取り出した扇子をパチリと鳴らしながら言いました。

「では聴海、今度はそのほう自身の運命を占うてみよ!」

 聴海はもう一度、長い長い占いの手順を繰り返さなければなりませんでした。

 それから先の聴海の運命は実にあっけないものでした。

「私めは十年後も二十年後も、このようにして人の運を占って暮らしているでありましょう」

 という聴海の言葉を聴き終えた殿さまは、口元に神経質な笑いを浮かべながらこう言い渡したのです。

「聴海とやら。人の世に運などというものはないぞ。予はこれまでもこれからも、自分の運は自分で作り出してゆく。そのほうは今、十年後も二十年後も占い師として生きておると申したが、それが偽りであることを予が暴き見せてくれるわ。それ!皆の者、こやつを引っ立てい!即刻、獄門さらし首じゃ!」

 * * * * *

 まやかしの術を用い市中を騒がした罪許し難しという内容の高札の横で、聴海の首は西の空を睨みつけています。

 そして、天下統一を目前にした織田信長が、明智光秀のために本能寺であえない最後を遂げたのは、翌年の六月二日のことでした。