たまご

作成時期不明

「気が狂っていたのは私たちの方かも知れない…」

 太い針金でできた丈夫な小屋に移されたニワトリたちは、やり場のない悲しみを持て余していました。自由を奪われ、何の楽しみもない生活を強いられながらも、その苦しみに目をつむって生きていた自分たちの生き方が恥ずかしくてなりません。そして自由な世界へ戻るために命がけで小屋を破った年寄りのニワトリの勇気が、限りなく美しいものに思えてならないのです。

(小屋を出たい…)

 若いメンドリたちはその時初めて心からそう思っていました。小屋を出て空を飛ぶのは無理だとしても、死んだニワトリが言っていたように、太陽の光をいっぱいに浴びて思いっきり羽ばたくことができたとしたら、それはどんなにか素晴らしいことでしょう。

 自由へのあこがれ…。それが、くちばしを砕き、顔を血で染めてでも貫き通す価値のあるものだということに気がついた時、彼女たちの心はもう立派な「鳥」でした。自由に大空を飛びながらも、その尊さに気づかないでいるたくさんの鳥たちよりも、ひょっとするとそれは、もっともっと鳥らしい心だったかも知れません。

 しかし、若いメンドリたちがようやく鳥としての誇りを取り戻した日、お父さんはいよいよ本格的に養鶏…つまりニワトリのたまごを大量に売って生活することに決めたのです。

 * * * * *

 ニワトリたちにとって、それは地獄のような生活でした。小屋は見違えるほど広くなり、仲間も数え切れないくらいに増えましたが、一羽一羽の部屋は細かく金網で区切られていて、体の向きを替えることはおろか身動きすることすらできません。頭ひとつがようやく出せる程度に開かれた金網の隙間から懸命に餌を食べると、首の回りは羽根がすり切れてダチョウの首のように赤むけになりました。床は斜めになっていて、産んだたまごは自動的に外に転がり出る仕組みになっています。こうなるともうニワトリ小屋というよりは、立派なたまごの製造工場でした。

「出してよ!」

「私たちは機械じゃないわ!」

「あなたたち人間と同じように生きているのよ!」

 ニワトリたちは口々に怒りの声を張り上げましたが、その時にはまだ、ここの暮らしの本当の恐ろしさには気がついてはいませんでした。やがて陽が沈みます。どんなに辛い生活でも、夜は眠りという休息を運んで来てくれるはずです。ニワトリたちは悪夢のような一日が少しでも早く終わることを祈っていました…と、それもつかの間、信じられないことが起こりました。小屋の天井に取り付けられたおびただしい数の裸電球が一斉にまぶしい光を放ったのです。

(まさか!)

 ニワトリたちの不安は的中しました。次の日も、そのまた次の日も、明かりは一晩中小屋の中を照らし続けてニワトリたちの夜を奪いました。眠りたくても眠ることのできないイライラは、どこかで食欲にすり変わるものなのでしょうか。

「眠いよう!」

「眠いよう!」

 と悲鳴を上げながら、ニワトリたちはすさまじい勢いで餌を食べました。すると餌の中には何か特別な薬でも混ぜてあるのでしょう。食べている途中でもどんどんおなかが張って、たまごを産みたくなってしまいます。

「助けてよう!」

「眠いよう!」

「ここから出してよう!」

 ニワトリたちは狂ったように餌を食べ、いくつもいくつもたまごを産みながら急速に衰えて行きました。衰えてたまごを産まなくなったニワトリたちは、まるでボロ切れのように箱に詰め込まれてどこかへ連れ去られたきり、二度と戻ってくることはありません。それが何を意味しているのか、ニワトリたちにはもう十分想像がついていました。生まれることから死ぬことまで、生き物としての営みのすべてを奪われてしまっていることに気がついたニワトリたちにたった一つ残されているものといえば、ものを思う自由だけでした。

 ニワトリたちは人間を恨みました。人間を憎みました。人間を呪いました。恨み、憎み、呪う気持をたまごに込めて人間の社会に送り出すことだけが、ニワトリたちが生きている証しでした。たまごは、その純白のカラの中にニワトリたちの血を吐くような想いを包んで、来る日も来る日もスーパーの店頭に山のように積み上げられました。汚れた米を食べ続けた人間が、得体の知れない病気にかかったように、恨みや憎しみや呪いの込められたたまごを食べ続けた人間がいったいどんな心になってゆくものか…。一日の買い物を終えていそいそと家路を急ぐ平和で幸福な主婦たちには想像することさえできなかったのです。