八兵衛の犬と六助の犬

平成29年10月19日(木)掲載

「おらのことまぬけ面とはどういうつもりだか!」

 八兵衛の家に着いた六助夫婦は、掴み合いの喧嘩もしかねない剣幕で八兵衛の女房を問いただしました。

 ところが、八兵衛の女房は、一向に平気な顔で言いました。

「何のことだかわっかんね」

「とぼけるんでね、このあまっこ!おらのおとうのことをまぬけ、まぬけと大声で怒鳴ってるのさ、おらこの耳でちゃんと聞いただ」

 六助の女房が噛みつくように言うと、八兵衛の女房はげらげらと笑い出しました。そして、その笑い声を待ち構えていたように、一匹の犬を連れた八兵衛が現れて言いました。

「これはこれはお隣のお二人さん、おそろいで。話はそこで聞かせてもらっただが、うちの女房の言ったことが気に障ったなら、どうか勘弁してやってけろ。女房は何も六助のことまぬけと言った訳ではねえだ。この犬のことを言っただからな」

「犬?」

 顔を見合わせる六助夫婦を、八兵衛の連れて来た犬が、ちょこんと座って見上げています。

「つうことは…」

「おおさ、おら昨日から犬を飼っただ。名前はお前と同じ六助と言うだよ」

 八兵衛は得意そうでした。

「さあ、六助、お隣さんにご挨拶しねえか!」

 犬の六助は知らん顔をして後ろ足で首の辺りを掻いたりしています。

「このとおり、六助は挨拶もろくにできねえまぬけだども、まあ、よろしく頼むだ」

 六助には返す言葉もありませんでした。

「まぬけ、まぬけ、六助のまぬけ面」

 八兵衛夫婦のはやし立てる声を背に、六助夫婦はすごすごと家に帰るしかありませんでした。

「おまえさん、私ゃ悔しいだ!」

「おらの方がもっと悔しいだぞ、目の前でまぬけ、まぬけと言われただ。だども見てろ、おらにも考えがあるだ」

 その夜、六助夫婦は、なかなか眠ることができませんでした。


 翌朝、早く起きた六助は、自分も犬を探しに出かけました。

「どこかにみっともねえ顔した犬はいねか?いだらおらに売ってくれろ。高く買うだぞ」

 村中を探し回り、ようやく見つけた犬を連れて。六助は意気揚々と帰って来ると、

「おっかあ、見て見ろや、このまぬけ面。今日からこの犬の名前は八兵衛だあ!」 さあ、その日を境にして、垣根越しに、八兵衛と六助の、聞くに堪えない罵り合いが始まりました。

「これ、八兵衛!何て行儀が悪いだ。めしをぽろぽろこぼすんでねえ」

「六助!おめえのそのよだれは何とかならねか、汚らしい」

「ほれ、八兵衛!いつまで寝てるだ。おめの怠けぶりは村中に知れわたってるだぞ」

「六助、六助、まま食べたきゃ、三べん回ってワンて吠えてみれ」

「八兵衛の馬鹿たれが」

「六助のあほたれが」

 垣根越しの罵り合いは、いつ終わるとも分かりません。

 可哀想なのは犬たちでした。

 飼われたその日から、訳もなく飼い主からさんざんに怒鳴られるのです。

「オラノカオハ、ソンナニ、マヌケダベカ?」

 ある日、飼い主の留守に八兵衛の犬が垣根の隙間から顔を出して言いました。

「ソンナコタァネエヨ。オメノカオハ、イヌノナカデハ、ナカナカノビダンシダ」

 六助の犬が答えました。

「ソレヨリモ、オラ、ママクウマエニハ、カナラズ、サンベンマワッテ、ワン、テ、ホエサセラレルダヨ」

 六助の犬がため息をつきました。

「イッツモ、キノドクニオモッテルダ」

 八兵衛の犬が言いました。

 こうして、いつしか二匹の犬は、飼い主の目を盗んでは、垣根越しに慰め合うようになりました。