放置国家と後見制度

五、代理権

 認知症のお年寄りに話しを戻しましょう。

 成年後見制度を利用しないまま悪徳商法の被害が続いて財産が散逸すると、それやこれやで本人の認知症は急速に進み、やがて徘徊も始まって、とても在宅生活を続けることが困難になりました。福祉関係者たちが検討して、グループホーム入所もやむなしということになりましたが、入所には施設と本人との間で契約を結ばねばなりません。さて、入所の契約をいったい誰が結ぶのでしょうか?福祉関係者が代筆して契約が成立するでしょうか?疎遠になっている親族を探し出して、例えば本人の妹の代筆なら契約は有効でしょうか?代筆には問題があるかも知れないので、本人の委任状をこしらえて、妹の名前で契約をすれば有効でしょうか?しかし、日常生活すら継続できない程度に判断能力が落ちている本人に、妹と委任契約を結ぶことができるでしょうか?

 こうして可能性をつぶして行くと、判断能力のない本人に代わって契約を結ぶ権限を有しているのは、成年後見制度によって裁判所から選任された者以外にはありません。実はここではわかり易くするためにグループホームの入所契約の場面を取り上げましたが、本人の契約能力の問題は、介護保険の入り口であるケアマネジャーの利用契約の時点から生じています。しかし現実にはたいていの認知症高齢者が、親族の代筆で契約して何も問題がないではないかという声が聞こえて来るようですが、思い出してください。法治国家は放置国家です。無効な契約でも放置されます。悪徳業者と結んだ契約が裁判手続きを経ないと取り消せないのと同様に、施設入所のために取り交わされた無効な契約も、双方が異論を唱えなければ、有効扱いのまま放置されるのです。


六、委任代理

 ここで不愉快な話題を一つ取り上げなければなりません。それは財産管理のところで紹介した悪い叔父さんの話です。施設に入所している知的障害者の財産を管理している叔父さんがそれを着服しましたね。他人の財産を管理する行為を法的に表現すれば、本人との間で財産管理について委任代理契約が成立していることになります。もちろん判断能力のない人と交わした契約は無効ですが、無効な契約でも放置されることは何度も説明した通りです。そして財産管理を任されたのをいいことに、叔父さんがそれをほしいままにするのを誰にも止められませんでした。これを仕事として有料で行う団体が登場したのです。つまり将来に不安を抱く高齢者との間で契約を取り交わし、財産管理や施設入所の保証、葬儀から永代供養に至るまで、料金を取って一手に引き受ける業者が出現したのです。対象は身寄りが無かったり、あっても疎遠なお年寄りが大半です。美しいパンフレットを見れば、しっかりした組織で、これで自分の将来は安心だと錯覚しますが、要するに業者の立場は前述した叔父さんと同じです。頼れる身内のいない高齢者が全財産を業者に預けて、時間の経過と共に通常は判断能力を失って行きます。業者は高齢者がどんどん忘れてゆく全財産を預かって、誰のチェックも受けないのです。

 こんな実例を聞きました。

 所得の低い元気な高齢者が暮らす養護老人ホームで、認知症が進んだためにグループホームに移ることになったお年寄りがいましたが、グループホームが要求する保証人がなく、施設の職員は話題の業者に連絡を取りました。早速やって来た業者の担当職員は施設の一室を借りて本人と委任契約を取り交わし、身元保証と共に財産管理を引き受けました。その契約書を偶然目にした関係者が驚いたように言うのです。

「契約書の中に小さな文字で、自分が死んだら残った財産は全て団体に寄付するという記載があるんですよ」

 お年寄りは所得は低くても多額の貯えがあったそうで、

「すごいですよね。認知症のために施設で暮らせなくなってグループホームに移るんですよ。契約内容を理解しているとは思えないし、本人に渡るはずの契約書も業者が保管するのですから、外からは何も分かりません」

 密室のようなビジネスですよね、という言葉が印象的でした。必要があって存在する仕事には違いありませんが、判断能力が衰えた人にとって、放置国家は危険国家でもあるようです。


七、身元保証

 密室のビジネスは身元保証をきっかけに養護老人ホームの職員が招き入れました。施設や病院は正当な理由なく入所や入院を拒んではならないことになっており、身元保証人がないことは正当な理由とはみなさないことになっていますが、慣習のように求められるのが一般です。本人の支払いが滞った時に責任を持つのが身元保証人ですから、頼れる親族のないお年寄りの保証人を探すのは大変です。成年後見制度は判断能力の衰えた本人の財産を管理したり、代わりに契約をする制度ですから、本人のために誰かに保証人を依頼することはあっても、自ら保証人を引き受ける制度ではありません。ここに危険な業者が忍び込む入り口があるのです。

 地域で認知症のお年寄りが問題になったとしましょう。保証人がなくてもお年寄り自身は困りません。困るのはお年寄りを施設に入所させたい地域であり、相談機関です。早くなんとかしろ、火事になったらどうするのだと地域は相談機関をせかしますが、保証人がなくては施設は入所させてはくれません。そこで保証人を引き受けてくれる便利な業者に連絡をするのです。業者は当然、身元保証だけではなくて財産管理も引き受けます。あとは密室のビジネスですから実態は闇の中です。良心的な業者もあればいかがわしい業者もあることでしょう。確かなことは、裁判所の厳しい監督の下に財産管理を行う成年後見制度とは違って、この種の業者は誰の監督も受けないまま、判断能力の衰えたお年寄りの全財産を任されるということです。信頼性はシステムではなく業者の良心に委ねられています。制度の未整備が原因であるとしても、もしもそこに深刻な権利侵害が存在しているとしたら、画一的に保証人を求める施設や病院にも、無自覚に業者に保証を依頼する相談機関にも、応分の責任があると言わなくてはなりません。身元保証に代わる合理的な仕組みの検討が急がれます。


八、利益相反

 成年後見制度とは、判断能力が不十分な人のために、裁判所が公正を期待できる者を選任、監督して、本人の財産を管理したり、本人が交わした不都合な契約を取り消したり、本人の代わりに必要な契約を交わす権限を与える制度ですが、具体的には家庭裁判所に適任者を選任して欲しいという申立てが行われるところからスタートします。申立てができるのは、四親等(いとこの子)以内の親族と市町村長に限られていて、隣人や福祉関係者では申立てができません。裁判所が適任者を選任するに際して最も重要視するのは、公正が期待できるということです。何しろ判断能力の不十分な人の全財産を管理するのですから、例えばあの知的障害者の叔父を選任したりすれば、大手を振って預かった財産を着服することでしょう。在宅サービス事業の経営者を選任するのも問題がありそうです。経営者は、任された利用者に、自分の事業所のサービスを提供して少しでも利益を上げようとするでしょう。ひょっとすると必要の無いサービスも提供するかも知れません。これを利益相反と言って、適任者の選任に当たって裁判所が最も警戒するところです。地域福祉の担い手でありながら、社会福祉協議会が適任者として選任されないのは、福祉サーヒスの提供者でもあるからなのです。