放置国家と後見制度

九、事実行為

 適任者として選任された者は、本人の判断能力の程度によって軽い順に、補助人、保佐人、後見人の三種類に分けられて、少しずつ与えられる権限が違いますが、煩雑ですので、ここではまとめて後見人等と呼びましょう。さて後見人等は、本人の財産を管理したり、不都合な契約を取り消したり、必要な契約を取り交わしたりする権限を行使しながら本人の後見業務を行うことになりますが、例えば病気になった本人のために、受診先を決めたり受診手続きを取ったり医療費を支払ったりはしても、実際に付き添って看病する義務はありません。実際に看病するような行為は事実行為と言って、もそそも後見人等の仕事ではないのです。親族が選任されたような場合には、事実行為と後見業務は一体となって区別ができないでしょうが、成年後見制度はあくまでも判断能力の不十分な人の判断を補うのが目的ですから、食事を作ったり買い物をしたりという事実行為が必要ならば、それをしてくれる人に依頼するのが後見人等の仕事なのです。事実行為は行いませんが、例えば、施設に入所して家庭復帰する可能性のない認知症高齢者が所有する老朽家屋が崩れかけていて、近隣から危険が指摘されているような場合には、後見人等は代理権を行使して家屋を取り壊すことができます。費用は管理する財産から支出して、実際の取り壊しは事実行為として専門業者等に依頼するのです。


十、法人後見

 成年後見制度とは、使えば便利な福祉制度などというレベルのものではなく、これがなくては判断能力の不十分な人の権利は守れない「権限」に関わる制度であることを理解しなければなりません。かつて禁治産制度と呼ばれていたように、本人の財産を守ることを主な目的としていた時代なら、親族が後見人等になって何の支障もありませでしたが、巧妙な悪徳商法や悪意の第三者からの被害を防ぎながら、複雑な福祉制度を利用して本人の後見業務を行おうとすると、とても親族の手に負えなくなりました。また、核家族化や個人主義化の進展により親族間の相互支援体制も崩れて、面倒な後見業務を引き受けようという親族も少なくなりました。弁護士や司法書士や社会福祉士など一定の専門職は後見人等になることができますが、やはり個人はオールマイティではありませんから、例えば弁護士は福祉制度の知識が十分ではなく、社会福祉士は法的な知識が十分ではなくて、結局親族の場合と同じ困難を抱えてしまいます。そして何よりも個人が行う後見業務は、後見業務を行う側の病気や事故や死亡による中断が、不安定要素として常につきまとうのです。

 そこで法人後見が注目され始めました。法人は組織ですから、維持するシステムさえあれば中断することはありません。一般の会社と同じ様に、メンバーに事故があっても組織は機能し続けます。それに何よりも構成員による合議や検討が可能になるのです。社会福祉分野の専門家、法律の専門家、医療分野の専門化、学識経験者などで構成される検討会を随時開催して、事務局は、本人の後見業務について、多面的、総合的に検討を加えながら慎重を期すことが可能です。ところが問題は法人を維持するシステムなのです。


十一、費用

 いつの世も最終的にはおカネです。成年後見等に親族が選任される場合、身内の財産を守るためですから、報酬はそれほど問題にはなりません。本人の後見業務に必要な費用は、後見人等が管理している本人の財産から支出します。裁判所は領収書等の証拠書類と共に収支を報告させて、適正に後見業務が行われているかどうかを監督します。ここが前述の闇のビジネスと比べて決定的に違うところですね。後見人等の報酬は、管理する財産の金額と業務の複雑さを勘案して裁判所が決定します。弁護士や司法書士が選任されるように場合は、生業として行う訳ですから、それなりの報酬が必要ですが、専門職に依頼してでも管理しなければならない財産のある人が対象であると考えれば、報酬の捻出はそれほど困難ではないでしょう。問題は財産と言えるほどのものを持たない一般庶民です。住むに足るだけの土地と家屋を守り、ささやかな貯えと年金程度の収入で細々と生活している高齢者が認知症になったとき、頼れる親族がなければ、いったい誰が後見人等になるのでしょう。施設に入所している知的障害者の親亡きあとは、いったい誰が後見業務を引き受けてくれるのでしょう。地域で困難を抱えるのは圧倒的にこの種の人たちです。財産が少ない以上、どんなに後見業務が煩雑でも、多額の報酬は望めません。後見業務を引き受けるNPO法人が有効なのはわかっていますが、後見報酬だけでは職員の給与が確保できないために、設立に至らないのが現状なのです。費用は誰が負担すべきなのでしょう。身寄りもなく財産もない人の権利を守るのはいったい誰の責任なのでしょう。ここまでは制度の内容を理解して来ましたが、最後は制度の課題について考えてみたいと思います。


十二、成年後見制度の課題

 措置といって、福祉サービスが「行政の意思」で提供されていた時代は、意思能力を欠いた資産家の財産を守るための禁治産制度さえあれば不都合はありませんでした。ところが介護保険制度の登場により、「利用者の意思」で契約を結んで福祉サービスを購入する時代を迎え、意思能力を欠くために有効な契約を結べない一般市民に代わって契約を代行する制度が必要になりました。しかも在宅生活を中心に支援することが国の大方針になりましたから、財産管理はもちろん、日常に必要な様々な売買契約や賃貸契約を結んだり取り消したりしながら、本人の生活を守らなければなりません。つまり、財産を守ることだけを目的とする禁治産制度を改めて、残存する意思能力の尊重を前提に本人の生活支援を行う新たな仕組みの創設が必要になったのです。

 そこで、本人の能力の程度に応じて、補助、保佐、後見の三つの類型を用意して、柔軟に権利擁護を行う成年後見制度が創設されました。

 考えてみれば、福祉サービスの提供主体を営利企業にまで拡大し、従って提供方法を措置から契約に大きく制度変更して、在宅生活を基本に支援する体制を整えた国にとって、利用者の契約能力を担保するための成年後見制度の創設は必要不可欠なものでした。だから成年後見制度は介護保険制度と同時にスタートしたのです。ところが、よほどの資産家で多額な報酬が得られるならばともかく、意思能力が不十分であれこれとトラブルを起こす一般市民の在宅生活を、全面的に支援するような困難で煩雑で責任の重い仕事をおいそれと引き受ける人はいませんでした。成年後見制度の樹は痩せ細った状態のままで立っています。苗は責務として国が植えました。育てるのは誰の責務でしょうか?契約に基づいて介護保険制度を運営し、権利擁護の実施主体として位置づけられた地方自治体こそ、水を遣り、肥料を与える立場だと思います。その任を自覚して成年後見の仕組みの維持に公費を充てた自治体の見識は評価に値しますが、一方で、民間にできることにおおやけは手を出さないという姿勢を表明して憚らない首長もいます。だとしたら、闇のビジネスをしっかりと監視する権能を行政が持たなくてはなりませんが、厳しく監視されるようになれば、民間ビシネスはさっさと手を引くに違いありません。利益相反を軽視して、福祉サービスの事業者に後見業務をさせられないものかと検討している自治体もあります。一般市民を養成して個人後見の業務に当たらせて、行政は市民後見人の相談支援を行う立場に立とうという路線に踏み切った自治体もあります。要するに混沌としているのです。いずれにせよ無効な契約を無効と知りつつ介護保険や自立支援法というおおやけの制度を適用して公費を払い続ける行政の姿勢は矛盾です。この矛盾を、貧しい人の権利擁護を伴う形で解消する方法論の確立こそ、最大の課題と言っていいのではないでしょうか。