清崎城跡糸魚川市

■名称■ 清崎城跡
■住所■ 新潟県糸魚川市清崎
■電話■
■特徴■  清崎城は 、現在の糸魚川市役所(一の宮1丁目地内)を中心とした箇所に所在していたことが、文献・絵図資料及び発掘調査資料によって分かっています。清崎城の成立は慶長11年(1606)に、堀秀治の一族堀清重が山城廃止冷似従い、山城根知城から平地の清崎の地に築城し入城したと言われています。

現市庁舎建築に伴う発掘調査が行われ、江戸末期に描かれた「清崎城絵図」と符合する遺構の一部が確認された。

 当時、越後高田藩では堀氏が直江津に福島城を、堀氏のお家騒動もあり松平氏が高田城を新築する中で松平氏や溝口氏、稲場氏が入城又は勤番 などで糸魚川の支配を行いました。三代目荻田孫十郎が大阪夏の陣で功をあげ、寛永元年(1624)には糸魚川清崎城城主にして高田藩の家老職も歴任した。しかし天和元年(1681)の高田藩の相続争い越後騒動により五代目荻田主馬が八丈島に流罪とされ、城はとりこわしとなり二度と築城されずに終わった。

 なお越後騒動後、糸魚川藩主となったのは享保2年(1717)、福井藩とつながりのある松平直之でした。福井松平藩と言えば徳川の血を引く系統で、1万石の小藩ではありましたが定府大名であったため、糸魚川には陣屋をおき江戸からの役人派遣により藩領を統治していました。のち旧糸魚川城跡は糸魚川7カ町(寺町、新屋、七間、横町、新田、鉄砲)と上刈村へ払い下げることになったのです。



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