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  • 更新日 2015年8月26日
  • 青梅市「広報」より
    《第百七十一回》ふるさとの文化財

    旧宝林寺文書きゅうほうりんじぶんしょ(3点)
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成27年6月15日

    吉野街道の長淵2丁目に鳶巣とびす橋という橋があり、そこから南方へ登っていく坂があります。これが「万場坂通り」で、坂を上がった最初の十字路を右折して20~30m行くと左側の畑の中に墓地が見えます。墓地の入口には「法蓮寺会」という名前が石に刻んでありますが、ここが中世より長渕(淵)郷巣鷹すたか(須高)村にあった寺院「宝林寺」の跡と言われている所です。(青梅市史等には「ほうりんじ」とありますが、墓地の方には「ほうれんじ」とあります。)

    この宝林寺は、明治4年廃寺となりましたが、ここに伝わっている「応永25(1418)年」(2通)、「嘉吉2(1442)年」の年号のある古文書1通の合計3通が「旧宝林寺文書」と言って、市内に現存する最古の書状であるということから、市の「有形文化財」に指定されています。(昭和39年11月指定、現郷土博物館蔵)

    内容は、①三田朝貞ともさだ寄進状(応永25年)…三田左衛門五郎朝貞が長渕郷巣鷹の村の土地や田を宝林庵に寄進するという書状(縦33・2×横44・5㎝)②沙弥勝しゃみしょう千売券せんばいけん(応永25年)…宝林庵へ小作村しばた屋敷の得分を10年間、三田安芸太郎入道沙弥勝千が売り渡すという書状(縦32・9×横42・5㎝)③梵秀補任状ぼんしゅうぶにんじょう(嘉吉2年)…僧梵秀が瑞長小僧を宝林寺の次期住持に補任した文書(縦31×横37・2㎝)というものです。

    万場坂周辺には、現在も三田姓や南姓等、三田氏にかかわりのある名字の方が多く住んでおり、長渕三田館の土塁ではないかといわれる跡も残っています。文書には市内最古の文書というほかにも、「三田」という名前が載っており、三田氏に関係する資料としても貴重であるということがいえると思います。

    この旧宝林寺文書3点は、郷土博物館に保存されていますが、資料を末永く保存する目的のため常設展示ではなく、不定期に公開としていますが、今回特別公開を実施します。詳細は下の記事をご覧ください。

    問い合わせ 郷土博物館 ☎ 23・6859

    市文化財保護指導員
    神森 正

    三田朝貞寄進状

    沙弥勝千売券
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