社会契約説考

令和02年10月08日(木)

 こんなことは絶対にありえないことですが、名古屋市が日本政府から、どんな政治体制にしても構わないという特別区に指定されたと仮定しましょう。住民投票を実施したところ、高額な税の負担を強いられた上に、法や制度に束縛された現在の生活から解放されて、完全に自由な生活をしてみたいと望む声が圧倒的だったので、投票結果を尊重した市長が、思い切って名古屋市全域を無政府状態にしました。さて、あらゆる法律から自由になった市民の生活はいったいどうなるでしょう。

 相手方の会社の契約不履行で町の事業所が倒産しても、裁判所は閉鎖になっていますから、民法に基づいて損害賠償を求めることはできません。損害を被った側は賠償を求めて直接相手方と交渉しますが、応じようとしない相手と口論になり、近くにあった鉄パイプで撲殺してしまっても刑法で裁かれることはありません。撲殺の現場を目撃した者が警察に電話をしても「現在、使われていません」というメッセージが流れるだけでパトカーが来ることはありません。殺された被害者の息子が復讐心に駆られ、刺した男の自宅に火を放って家族を皆殺しにしても、罰せられることはありません。それどころか、類焼で焼け出された近隣の住人たちも泣き寝入りをする理不尽に耐えられず、復讐が復讐を呼んで、血なまぐさい事件は拡大する一方です。

 焼け出されて住む家を失った家族は、管理者のいない公民館を住居にしようとガラスを割って侵入しますが、先に住み着いていた家族と乱闘が始まります。失職して雇用保険で生活していた人たちは、求職者給付が支給されなくなり、食べ物を求めてコンビニやスーパーを襲いますが、商品を奪われてなるものかと武装した店員によって叩きのめされてしまいます。もちろん生活保護を申請しようにも福祉事務所は機能していません。

 道路は信号が消え、交差点では事故が多発しますが、事故証明が取れないので自動車保険は使えません。刑法も警察もないのですから、車が破損した人は、壊れた自動車を放置して、別の人の車を奪います。奪われた人は、同様に別の人の車を奪って自分のものにしますから、車に常備して身を守るための銃や刀剣が売り出されます。やがて金品を奪う側も守る側も銃や刀剣で武装して、人々は互いに自由であることの危険性に怯えます。戸籍もなく、住民登録も不動産登記もなく、従って所有権は実力で主張しなければなりません。力ずくで土地を占拠されたら、力ずくで奪い返すしかないのです。公共交通機関は動きません。病気になっても医療保険が使えませんから、先に現金を支払わなければ診察が受けられません。貧しくて医療費が払えない患者の遺体は道端や公園に放置されて悪臭を放ちます。火葬場が動かないのですから、裕福な人の遺体も同様です。

 税金は取られないものの、統治機構を失った社会は非常に不安定で、警察がないと、ここまで治安が悪化することを思い知った市民の中から、もう一度、法の復活と市による統治を望む声が上がります。一方で、統治から自由になれば、やりたい放題の無法が許されることに味をしめた一部の市民たちは、武器を持ち、徒党を組んで必要な物資や金品の強奪を繰り返します。

 これが、十七世紀のイギリスの啓蒙思想家ホッブズの言う『自然状態』を現代に置き換えた姿です。市民は完全な自由の下で、ホッブズの言葉で有名な『万人の万人に対する闘争』状態に置かれたのです。そこで市民は既存の権力機構に対し、自力で自分を守る自己保存権を委ねることで、服従と引き換えの安全を実現したいと望みます。そのとき市民と権力機構との間に成立する関係をホッブズは『社会契約』と呼んだのです。

 イメージを身近なものにするために名古屋市を想定しましたが、これを国家レベルに拡大して考えれば、人々は自己保存権を放棄する代わりに、王政という権力機構に、本来各自が持っている自己保存の権能を委ねます。こうしてホッブズは、人々が神の権威に対して懐疑的になって行く時代にあって、王権神授説のように『神』を持ち出すことなく、絶対王政の存在意義と領民の服従義務の根拠を示して統治に素朴な正当性を与えたのでした。

 それから三十年ほど経って、イギリスに名誉革命が起きる時代になると、『自然状態』における人間像がホッブズとはよほど違って来ます。ロックは人間に社会性と理性を認め、自己保存権は、他人の自己保存権を侵さないという前提で機能していると考えました。従ってロックの想定する自然状態では、人々は理性的、平和的に生活をしているのですが、貨幣経済の浸透による貧富の差が結果的に戦闘状態を招くと考えます。人々の生命、自由、資産…これをロックは『所有権』と総称しますが、ロックもここで社会契約を提唱するのです。人々は王政とは異なる国家という権力機構を形成して所有権を保証する権能を信託します。国家は立法権、司法権、執行権を駆使して国民の信託に応えます。そしてここからがロックの独走になりますが、国民は国家に所有権保全を委ねたのではなく、所有権の保全を委ねるために国家を形成したのですから、国家が国民の信託に不十分にしか応えない場合には、国民には国家に対して抵抗する権利があると言うのです。服従義務を正当化したホッブズとは質的に違いますね。その考えはアメリカの独立革命に影響を与えました。