社会契約説考

令和02年10月08日(木)

 国民が国家権力に信託した契約内容を記載したものが憲法であるとすれば、かくも短期間に大胆な解釈変更を重ねて平然としている国家があるでしょうか。他国に対する交戦権を認めず、従って軍も持たないという契約内容でスタートした国家が、いつの間にか契約はそのままで、集団的自衛権の発動も敵基地に対する先制攻撃も可能な国家に変貌しているのです。国家と国民の間に契約関係という緊張が存在する国家では、例えば警察官が黒人を差別的に扱えば、国民の批難行動は手が付けられないほどの激しさで世界の国々に波及しますが、わが国は沈黙しています。総理の言葉を忖度した上司の命令で公文書の改竄を強いられた国家公務員が、罪の重さに耐えられずに自殺しても、国民レベルでの抗議行動は起きません。『総合的、俯瞰的に判断した』『法に照らして適正に対応している』『ご指摘は当たらない』『個人に関わることなので公表は控えたい』『個別具体的なことには答えられない』『人事にわたる事柄なので答えは差し控えたい』などという、説明にもならない答弁を繰り返し、のちの検証を可能にする文書や記録は残さない不誠実な政府に対しても国民は黙して語りません。無抵抗な国民を前にした政府は絶対王政と変わりません。政府は社会契約説が想定した国民の抵抗に怯えることなく、多数という権力を振りかざして欲しいままに振る舞っている感が否めません。諸外国の住民運動や国家規模の反政府運動の激しさを見るにつけ、易統治性、つまり、穏やかな国民性だけでは片づけられない、国民国家成立過程の重大な欠落ついて考えさせられるのです。