社会契約説考

令和02年10月08日(木)

 さらに七十年ほどして登場するのがルソーです。ルソーが描く自然状態における人間像は、自由で平等で孤立した存在でした。ルソーがホッブズともロックとも違うのは、本来自由で平等な人間社会も、互いに自由に振る舞うことで崩れて行くと考えた点です。他人の自由を侵さない範囲で互いの自由を享受するために、人々は相互に契約して、自己保存権や所有権を保証し合う共同体を形成します。それが最大規模になったものが国家であると考えたのです。巨大な共同体としての国家は、人々の意思に基づいて制定した『法』を執行する機構になります。法に反映される人々の意思とは、例えば統治の頂点に立つ者の利己的な意思ではなく、国民個人の意思と共同体の意思が合致した『一般意思』でなくてはなりません。こうしてルソーが描いた直接民主主義を理想とする国家像は、フランス革命に大きな影響を及ぼすのです。

 ホッブズ、ロック、ルソーと、啓蒙思想の代表者の思想を追いかけて来ましたが、人々が『秩序ある自由』を享受するために、全体を統括する権力に自己保存権や所有権を信託するという点で共通していました。そこで国民が国家に信託した契約の内容を記述した契約書が『憲法』であると考えてはどうでしょう。憲法は国民の国家に対する信託契約書として国家を縛るのです。社会契約説によると、そもそも自由な存在である市民が、自然状態の無秩序を嫌い、秩序ある自由を実現しようとして自らの自己保存能力と所有権を国家に委ねた訳ですから、憲法は当然、市民の自由を最大限に保障するものでなければなりません。国家が市民の自由を不当に侵す場合には、市民には、契約不履行状態からの回復を求めて国家を糾弾する権利が留保されています。統治という権力は、それを委ねた国民との間の緊張関係の上に成立しているという認識が自明の理として双方に共有されるべきものなのです。

 名古屋市が無政府状態になった場合を想定したように、既に手に入れていた秩序ある自由を実験的に放棄することで、万人の万人に対する戦いを経験した市民たちが、再び自分たちの統治機構を作る場合を考えれば、法の支配や市民の権利義務について明確なイメージがありますが、歴史は段階を踏んで進みます。社会契約説は、統治や権力というものについての存在意義を、歴史的事実とは無関係に理論づけるための思考実験です。私たちは契約という概念をあまり意識しない民族です。権利義務について比較的無頓着な民族です。しかも一神教における神のような超絶的権威に生活の隅々まで服従を強いられた経験の薄い民族です。さらに絶対王政のような圧倒的な権力によって直接支配された経験にも乏しい民族です。従って社会契約と言われても外国語のようなよそよそしさを感じてしまいますが、ヨーロッパでは、自分たちを過度に束縛する神の権威から自由になろうとしたルネサンス運動同様、恣意的に税を取り立てて、従わなければ容赦なく罰を与える王の圧政から自由になるために必要な政治思想であったのです。神から授かった権限であると自任して絶大な権力を振るっていた王政を力ずくで倒して成立した革命政府としては、社会契約説を援用して正当性を主張するとともに、あるべき統治の姿、つまりは国家と国民の関係を明確にする必要があったのでしょう。しかしそれは革命期の話です。倒すべき絶対王政が存在するという条件の下で成立した政治思想です。歴史的にはまずは絶対王政こそ成立しなければなりませんでした。ここからはその辺りの経緯をときにわが国と比較しながら考えてみたいと思います。

 まずは山や川などの自然条件によって区切られた一定の地域に自然発生的に統治機構が成立して秩序ができますが、秩序は結果的に実現したに過ぎず、目的は統治者による富の簒奪ですから、権力は住民の信託に基づくものではなく、統治というよりも支配という名称が相応しいものでした。支配者は自分が支配する地域内での狼藉は許しませんから、領内の治安を乱す者を排除し、支配に服さない者を罰し、隣接する地域の支配者の侵略から領地を守るための武力を保持します。兵を養うことを含む武力保持のための費用は、領民から簒奪した富によって賄われます。土地という生産手段を領主によって安堵されるのと引き換えに、土地に束縛されて税を取り立てられる領民たちは、簒奪される富と、維持される秩序と、支配に刃向った場合の危険とのバランスの上で日常を営んでいます。一方、支配者の側も、大量の領民の逃散を招くような過酷な簒奪は自制しながら、領民に対して支配の正当性を主張できる程度の治安や秩序の維持に努めます。

 地域の支配者たちが覇を競い、戦乱を重ねたあげく、一人の覇者が全ての地域の支配者を従えて広域を支配し終えたとき、ヨーロッパで言えば、絶対王政という歴史的段階を迎えます。国王という覇者に従った領主たちは貴族として特権階級を構成し、国王は強大な軍備と官僚組織を従えて国家の主権者として君臨します。国家は国王の所有であり、国王は海外市場に進出する商人の後ろ盾となって国を富ませます。これを重商主義と言い、同じ歴史的段階に入った他の国との間で紛争が絶えません。戦費も含めた権力機構を維持するための費用は、当然ながら領民が納める税で賄われる訳ですが、保障される秩序に比して税の負担が釣り合わなければ領民の間に当然不満が生じます。働いて得た富をどうして王に簒奪されなければならないのでしょう。そこで王は、王権神授説と言って、領民を統治する自らの権力の正当性を神の権威に求めます。神前で教皇から王冠を授与される戴冠の儀式を領民に見せつけて、王の権限は神から授かったものであるということを統治の根拠にするのです。