夢の解釈

平成26年08月24日(日)

 一方、私には何冊かの著書があるために、人前でお話しをする機会が与えられます。会場に集まるたくさんの聴衆の中には、大変な専門家が混じっていないとも限りません。主催者は講師である私を丁重に迎えてくれるのですが、私の心の底には、いつも言いようのない不安が、ベース音のような鈍い音を発しています。私は学者ではありません。実践家でもありません。何ほどの社会的地位も持たない私に求められる話しであるからこそ、内容は聴衆の心に響くものでなければなりません。常にアンテナを張っています。どんな事象も複数の角度から眺めるようにしています。展開をくふうし、表現を磨き、ゆとりの表情の陰では、駆け出しの役者が台詞を覚えるような努力を続けているのです。自分か何者であるかが分からないまま、挨拶をさせられる夢は、この辺りの不安を象徴しているのだと思います。

 私は四十二歳で尾骨を外して直腸の腫瘍を切除する手術を受けました。翌年は腹部を切開して泥の詰まった胆嚢を取りました。その頃から喘息発作が始まって。自分で救急車を呼んで病院に運ばれたときの心細さは、便利な名古屋に転居する原因の一つになりました。人間ドックでは毎年いくつかの異常が指摘される年齢になって、今年は前立腺の腫瘍マーカーが看過できない数値になったため、入院して精密検査を受けました。直腸の壁を十二箇所貫いて採取した前立腺の細胞からは、幸い癌細胞は見つかりませんでしたが、これからはこんなことが続くのだ…と漠然と覚悟をしました。田舎で暮らす母親は、またしてもおカネがない、携帯電話がないと大騒ぎをして、大騒ぎをしたことを忘れてしまいます。彼女が転んで骨折するだけで、私の生活は一変してしまうことでしょう。子育てを終えて、これからはのんびり人生を楽しめると思いきや、待っているのは自分の老いと親の介護です。親を送り、自分が最期を迎えるまでには、まだまだたくさんの困難がありそうです。その不安がこんな夢になったのでしょう。

 夢の中で私は、他人から見れば価値のない折りたたみ傘が手放せませんでした。鉄梯子から落としてしまったときも、岩に衝突して折れ曲がった傘をわざわざ拾って再び梯子を上り直しました。傘は何を象徴しているのでしょうか。他人には意味がなくても、私が大切にしていることと言えば、ものを書くことしかありません。心に去来するあれこれを文章で表現したいという衝動が、いつだって心の中心にあるのです。書きたいことが浮かばないときは、自分が無価値な人間になったように苦しくて、書き始めれば、うまく表現ができないことが苦しくて、いいことなど一つもないのに、マラソンランナーが走ることをやめられないように、一つ書き終えれば次を書きたいと思います。ときには自分の体に溜まった毒素を吐き出すように、ときには生きた足跡を刻むように、誰に評価をされなくても死ぬ瞬間まで書き続けていたいのです。

 死ぬ瞬間は、真実の口に飛び込むような勇気が要るのでしょうか。何も見えない暗闇に身を投げると、産道のように螺旋になったトンネルを滑り落ちて、行き着く先は元の場所…。

 よくできた夢でした。

 そしてその夢も、忘れないうちに書きとめておこうと躍起になりながら、私は真実の口に向って梯子をよじ上っているのです。