国防を考える

平成29年10月17日(火)

 同盟という言葉からは対等な二国間関係が連想されますが、アメリカはかつてわが国の占領国でした。進駐軍を駐留させ、実質的に軍政を敷いて、憲法や民法を初めとする戦後の日本の骨格を作り直しました。アメリカは、自由主義国としてスタートしたわが国を、米ソ冷戦時代の防波堤と位置づけて、経済的発展と自由思想の普及に並々ならぬ援助を実行しました。その結果、いつの間にか先進国の仲間入りを果たした日本国民は、かつて鬼畜とまで呼んで敵対したアメリカに対して、精神の深い部分で、子どもが親に甘えるような依存心と、独り立ちしたいという抑圧した自立心を抱いています。日米同盟は日本の占領統治が終わった後も、冷戦時の東アジア戦略上の必要性から、わが国にアメリカが基地と軍隊を置く代わりに、わが国の防衛について片務的な義務をアメリカに課す内容ですが、これをアメリカから見れば、日本への攻撃は広い意味でアメリカ軍基地に対する攻撃でもある訳ですから、これを守るのは当然のことです。アメリカはあくまでも自国の軍事戦略上の必要から日本に基地を置いているのですが、いざという時はアメリカが日本を守ってくれるというイメージを日本人に与えたことは否定できません。わが国は、憲法九条がありながら自衛隊を持ち、憲法九条がありながら武装したアメリカ軍の駐屯を認めて、戦後七十年間の平和を維持して来たのです。

 考えてみれば憲法九条というのは変幻自在です。日本政府は、たとえ平和維持活動、いわゆるPKOであっても、憲法九条があるから自衛隊の海外派遣はできないと言っていたかと思うと、戦闘地域でなければ活動は違憲ではないと言ってみたり、とうとう今回は、後方支援としてなら武器弾薬を運ぶことも可能であると言い出しました。専守防衛を命ずる憲法の下では攻撃を目的とする軍備は持てないと言いながら、例えばアメリカ軍の爆撃機は、沖縄の基地から飛び立って、ベトナムに枯葉剤を散布しました。例えばアメリカの巡洋艦は、横須賀基地から出撃してイラクにミサイルを撃ち込みました。憲法は日本政府を拘束しますが、当然ながら日本国内にあるアメリカ軍までは拘束しないのです。例えば誰かが、

「日本は憲法九条によって戦争を放棄した平和国家であり、他国を攻撃することはできませんが、日本が提供する基地に駐屯するアメリカ軍が他国を攻撃することは認めています。もちろん、わが国が攻撃されるような事態になれば、日米同盟に基づいて両国は日本の防衛のために共に戦いますよ」

 と言ったとしても、私たちには反論ができません。こうなると、平和国家の意味が揺らぎます。

 私は麻薬を吸いませんが、麻薬を吸うための部屋を貸しています。私は暴力には反対ですが、暴力団に事務所を貸しています。そんな大家が、自分自身は麻薬を吸わない、暴力を振るわないことを誇らしげに語ったとしたらどうでしょう。憲法九条が平和を守ったという論理には、これに似た欺瞞性が伴います。日本人は戦後七十年間、平和憲法の下で一度も戦いに参加しなかったと言いますが、ただ単に自分たちは手を汚さなかっただけなのではないかという欺瞞です。ここに同盟国との関係性だけでなく、民俗の誇りを考える上での極めて重要な問題の核心があるように思います。

 そこで、重複を恐れずに、今日までの日米関係を、わが国の国防という観点に立って整理してみましょう。

 敗戦国であるわが国に占領国として進駐して実質的な軍政を敷いたアメリカは、日本の独立に際し、戦争を放棄する平和憲法の制定を主導して、一億火の玉になる可能性を秘めた日本民族から危険な武力を取り上げました。

 米ソ対立が深刻の度を深める中にあって、ソ連に最も近い太平洋上の位置を占める日本を、自由主義陣営の重要な一翼として位置づけ、経済発展と自由主義思想の普及を支援する一方で、日本に東アジア戦略上の軍事基地を提供させる見返りに、武力を持たない日本の防衛をアメリカが引き受けるという日米安保条約を締結しました。

 日本国土の各地に米軍基地がある以上、また攻撃は軍事基地を標的に行われるものである以上、日本の防衛とアメリカ軍基地の防衛は、実質上同じ意味でした。米軍基地はあくまでもアメリカの世界戦略上の必要から設置されたものであり、日本の防衛だけを目的としたものではないことを承知しながら、日本政府はひたすら経済成長に邁進して、今日の豊かな国民生活と先進国の地位を得たのです。ここからは、わが国の自由主義思想の進展と経済力、アメリカ国内の世論と経済力、世界情勢の変化に応じて、日本にも応分の軍事負担が求められる歴史の始まりです。今日の安保関連法案の成立は、その延長線上にあると言わねばなりません。最初からカンバスに色が塗ってあれば、その上に塗り重ねる絵具は自ずと限定されるように、わが国の戦後はアメリカによる占領から始まったという事実が所与の条件なのです。どっぷりと自由主義陣営に属しながら、憲法九条を盾に非武装中立を叫ぶ国民の一部を置き去りにして、朝鮮戦争を背景に創設された警察予備隊は、日本の国力と政情をにらみながら、保安隊から自衛隊に改編され、今や限定的ながら集団的自衛権を行使できる自衛軍になりました。そして、一連の変革は全て憲法解釈の変更によってなされて来たのです。