魔法の消しゴム

作成時期不明

 少年の家は、今にも崩れ落ちはしないかと心配になるくらい、みすぼらしいものでした。

(このような所に住んで入る者もいるのか…)

 トンガリ王子にとって、それは、生まれて始めての驚きでした。大理石の宮殿で、美しい衣服を着、おいしいものを食べて育った王子には、想像したこともない暮らしです。

「さあ、おじさんたち、汚いところだけど上がってくれよ」

 と少年に言われて、王子と大臣が中へ入ると、

「お兄ちゃん、お帰り!」

 飛び出して来た子どもたちが、少年のパンに群がりました。

「ごめんよ、遅くなって」

 少年は、子どもたちが奪い合うようにしてパンを食べる様子を嬉しそうにながめています。

「それじゃお前は子どもたちのためにパンを?」

「だって飢え死にするよりは泥棒した方がましだろ?」

「父親はどうしたのだ?」

「病気で寝てるんだよ。会ってくれる?きっと喜ぶから」

「病気なら、ちゃんと医者には見せたのだろうな?」

「おカネがなきゃお医者様にはかかれないよ」

「母親は?」

「死んじゃった…。でもね、ぼく、今度生まれて来る時にはこの国の王様になって、きっとみんなにいい暮らしをさせてやるんだ」

「…」

 トンガリ王子は言葉を失いました。

 是非父親に会ってほしいという少年に、王子はひと包みの金貨を手渡すと、

「これだけあれば、父親を医者に見せて、お前たちがしばらく食べて行くには十分なはずだ。だから二度と盗みなどするのではないぞ」

 と言い残して、逃げるように少年の家を後にしましたが、心の中は濃い霧が立ち込めたようでした。

「私の責任だ…」

 歩きながら王子はつぶやきました。

「そのようにお考えになってはいけません。恵まれた暮らしをしている者も、我が国にはたくさんいるのです」

 大臣が慰めました。しかし、国民を幸せにするのが国王の仕事だとしたら、一人でも不幸せな者がいたら、それはやはり国王の責任です。やがて国王になるべきトンガリ王子としては、放っておけない気持ちでいっぱいだったのです。


「どうであった?町の様子は」

 宮殿に戻ったトンガリ王子に王様が尋ねました。

「机の上の勉強だけでは知ることのできぬ様々なことを学ぶことができたであろう」

 すると王子は、思いつめたように言いました。

「父上!」

「どうしたのだ王子、そのように恐い顔をして」

「父上はこれまでいったい何をして来られたのです?」

「ん?」

「町には掃除夫という汚らしい仕事をしている男がおりました。あのような仕事を国民にさせるのは可哀想だと思います」

「しかし王子、それは…」

「いいえ父上、まだございます。小さな子どもが兄弟を飢えから守るために盗みをはたらきました。母親は死に、父親は病気をしているのですが、貧しくて医者にかかることさえできないありさまなのです。このような気の毒な国民が一人でもいる限り、トンガリ王国は平和な国とは申せません。そして、国が平和でないのは国王の責任だと思うのです」

 王子は真剣でした。今度生まれて来る時には王様になって、みんなにいい暮らしをさせてやるんだという少年の言葉が胸に突き刺さっていました。王様は、しばらくは黙って王子の顔を見つめていましたが、やがて穏やかに口を開きました。

「王子よ、確かにお前の言う通りかも知れぬ。しかし王子よ、世の中というものはお前が考えているよりもはるかに大きな生き物なのだ。いっぺんに変えようとすれば死んでしまう。よいか?町にゴミを捨てた者には重い罰を与えるという規則でも作れば掃除夫は助かるかも知れぬが、国民は窮屈な思いをすることになる。医者にかかるのに費用を取らず、反対に、医者にかかっている間は食べ物を支給するという制度も作って作れぬことはないが、そうなれば国民はわれもわれもと医者にかかり、少しでも楽をして生活しようとするに違いない。王子よ、ネズミにはネコがいるように、ゴミには掃除夫を、盗みには警察官を、そして病気には医者を設けるのが国王の仕事なのだ。しかし、貧しさだけはそれぞれが助け合い、耐えぬいて、いつかそこから這い上がるしか方法はない。それが生きるということであり、その積み重ねが国の発展につながるのだ。もう一度言おう。世の中は幸せも不幸せも飲み込んだ大きな大きな生き物で、いっぺんに変えようとすれば死んでしまうものなのだよ」