ぽん吉の恋

平成29年11月09日(木)掲載

 庄屋さまの大きなお屋敷の納屋で、ぽん吉は住み込んで働くことになりました。同じように庄屋さまに雇われている大勢の村人たちと一緒に、昼間は庄屋さまの田んぼや畑で働きました。もともとそそっかしい上に勝手の分からないぽん吉は、何をやらせても失敗ばかりしています。畑を耕すように言われたぽん吉は、人がせっかく種を撒き終えた畑までも掘り起こしてしまいました。このときは、

「申し訳ねえ、済まねえだ、おら、どうかしてただ」

 と謝って何とかおさまりがつきましたが、田んぼの草取りに出かけたぽん吉が、せっかく植えてある大切な苗を全部引っこ抜いてしまった話しが庄屋さまの耳に入ったときは大変でした。かんかんに怒った庄屋さまを奥様がなだめてくださらなかったら、三日間の朝飯抜き程度のお仕置きでは済まなかったことでしょう。つらいつらい毎日でした。朝はまだ暗いうちから野良に出て、カラスたちがすっかり山に帰るまで働き通しの生活でした。

「人間とは、こんなにも働き者なのか…」

 ぽん吉は本当にびっくりしてしまいました。とても修行どころではありません。提灯と行燈の違いに注意している暇などないのです。何か失敗をしでかして叱られた夜は、ぽん吉はひとりで泣いていましたし、そうでない日はくたくたに疲れ果てて眠っていました。何より困ったのは、少しでも気を緩めると、自分が実はたぬきだということがばれてしまいそうになることでした。

「おめえ、どこから来ただ?」

 と聞かれても、

「峠から来た」

 とは言えません。

「峠の向こうのそのまた向こうの村だよ」

 と答えることにしていました。

「名前は何というだ?」

 と聞かれたときは、うっかりぽん吉と答えたあとで、あわてて藤吉と言い直しました。下働きのおとめ婆さんが持ってきてくれたごった煮の汁を、うめえ、うめえ、と食べたあとで、それがたぬき汁だと聞かされたときは、ぽん吉は気を失って三日三晩寝込んでしまいました。

「あの汁は、おらの体には合わねえだ」

 と誤魔化してはおきましたが、おとめ婆さんはそれ以来、ぽん吉の顔を見る度に不思議そうに首を傾げるのです。


 苦しい半年が過ぎました。

 けれどぽん吉は、どんなにつらくても峠に帰ろうとは思いませんでした。ここの暮らしにもたった一つだけ楽しみがあったのです。それは、あの村娘に会うことでした。ぽん吉が初めて村にやって来た日、寝るところが無くて困っていたぽん吉に、親切にしてくれたあの美しい娘です。悲しいことがある度に、つらいことがある度に、そして嬉しいことがある度に、ぽん吉はこっそりと娘に会いに行きました。

 娘の名前はお鈴と言いました。お鈴はいつだってやさしい瞳を輝かせてぽん吉の話しを聴いてくれました。ぽん吉が泣きごとを言うときは、お鈴はきまって、

「頑張ってね、藤吉さんなら、きっとできるから」

 と励ましてくれました。ぽん吉が一生懸命働いて褒められた報告をするときは、お鈴も本当に嬉しそうでした。

 お鈴を喜ばせるためにぽん吉は一生懸命働きました。そうするうちにいつの間にかぽん吉は、野良の仕事もすっかり覚え、今では村一番の働き者になっていました。もううまく化けることなどどうでもいいことでした。ぽん吉の頭の中は、寝ても覚めても美しいお鈴のことで一杯でした。

 そうです。

 ぽん吉は恋をしたのです。

 人間の暮らしに慣れたぽん吉は、自分がたぬきだということをすっかり忘れていました。お鈴と暮らそうと思いました。離れていると胸が張り裂けてしまうかと思うくらいぽん吉はお鈴のことが好きでした。