水神池の鯉
平成30年02月09日(金)掲載
ドンドン!
「浜吉つあん…」
ドンドン!
「浜吉つあん…」
女の声がします。
「?」
浜吉と糸次郎は思わず顔を見合わせました。真夜中です。女が訪ねて来る時刻ではありません。
「誰だべ?」
浜吉が戸を開けると、人目を憚るように入って来たのは、網元の家の一人娘のお咲でした。
「お嬢さん!」
驚いた浜吉が何か言おうとすると、それを遮るように、
「嘘でしょう?ね、浜吉さん、水神池の鯉を捕ったなんて、何かの間違いでしょう?」
お咲はそう言って、涙を一杯浮かべた瞳で浜吉を見ました。
「…」
浜吉は自分の顔から見る見る血の気が引いて行くのが分かりました。糸次郎は慌てて布団から這い出して、食べ残した鯉の皿を隠そうとしましたが、またしても苦しそうに咳き込んでしまいました。
「じゃあやっぱり本当だったのね、本当に浜吉さんが捕ったのね」
わっとその場に泣きくずれるお咲の姿を見ると、浜吉は初めて自分のしたことの恐ろしさに気が付く思いでした。それにしてもお咲がここへやって来たということは、誰かが水神池で浜吉の姿を見ていたということです。
隠してもしかたがねえ…。
浜吉は思いました。
おらは何も悪いことしたつもりはねえ。おとうの病気を治したかっただけだ。
自分自身に言い聞かせました。悪いことをしたつもりさえなければ、何もびくびくする必要はありません。浜吉は決心しました。そして、
「確かに鯉はおらが捕っただよ」
と正直に打ち明けようとすると、それより早く糸次郎が喘ぐように言いました。
「浜吉じゃねえ!お嬢さん、浜吉じゃねえだ。おらが頼んだだよ。どうしても鯉が食いてえと、おらが浜吉に頼んだだよ、嘘でねえ、浜吉に罪はねえだよ」
「何言うだ、おとう。おとうは最後まで食べねえと頑張ったんでねえか。おらが無理矢理食べさせねば、きっと鯉はそっくりそのまま残ってただよ。それにおら今でも悪いことしたとは思ってねえ。魚を捕るのが悪けりゃ漁師はみんな悪人だべえ。罰を当てるんなら当てるがええだ。おらそんな神様は信じねえ」
「な、何つうこと言うだ、浜吉。ああ、お前はやっぱり罰当たりだあ!うんにゃ、おらたち親子はそろって罰当たりなんだ」
恐ろしさに耐えられなくなった糸次郎は、とうとう畳に頭をこすりつけるようにして、泣き出してしまいました。すると、そんな二人の様子を見ていたお咲は、突然立ち上がり、思い詰めたよにこう言ったのです。
「逃げて!二人ともどこか遠くへ逃げて!」