たっちゃん

作成時期不明

 よしおくんはまだ学校から戻りません。

「遅いわねえ…」

 料理の手を休めたお母さんが壁の時計を見上げた時、玄関のドアが開きました。

「よしおなの?」

 と声をかけると、

「なんだ、よしおはまだ戻らないのか?」

 というお父さんの声が返って来ました。

「きっと野球だわ。夢中なのよ」

「いいじゃないか、元気なんだから」

「変な中学生さえ一緒じゃなければねえ」

「変な中学生って、あの言葉遣いのおかしな転校生かい?」

 たっちゃんのうわさはお父さんの耳にも入っています。

「しかし別に悪いことをするというわけじゃないんだろう?」

「今のところはね。でもそのうちにわからないわ」

 お母さんはお父さんの着替えを手伝いながら言いました。

「あの子、頭がちょっと変なのよ。夏でも暑苦しい学生服を脱いだことがないっていうし、靴を右左反対に履いて平気な顔をしているそうよ。第一、中学生が中学校にも行かないで小学生と野球をしていること自体が問題でしょ?よしおが毎日そんな得体の知れない中学生と一緒に遊んでいるのかと思うと何だか気味が悪いのよ」

 言いながらお母さんはにわかに心配になって来ました。外はもう真っ暗です。よしおくんはいったいどうしたというのでしょう。例の頭のおかしな中学生にいじめられて泣いているのではないでしょうか。ひょっとすると、どこか遠いところに連れて行かれたのかもしれません。想像はどんどん悪い方にばかり広がって、

「私ちょっと見てくるわ」

 玄関を小走りに出て行ったお母さんは、そのとたん近所の人が驚いて飛び出して来るくらいの大声を張り上げてその場に立ちすくまなくてはなりませんでした。

「よしお!どうしたの?ねえ、いったいどうしたのよ!あなた!あなたちょっと来て!」

 履物を履くのも忘れて駆けつけたお父さんの目の前に、真っ黒な学生服を着た大きな身体の中学生がのっそりと立っています。そして、その背中におぶられて、痛そうに顔をゆがめながら泣いているのがよしおくんだったのです。

「よしお!どうした?どこが痛いんだ?」

「泣いていたんじゃわからないだろう!え?足か?腹か?」

「転んだのか?それともボールが当たったのか?誰かにいじめられたのなら相手の名前をはっきり言うんだ!お父さんがきちんと話しをつけてやる」

 よしおくんは両親の顔を見て安心したせいか、いよいよ激しく泣きじゃくるばかりで何も答えられません。

「あなた!そんなことより早く、早く中へ」

 お母さんの言葉で我に返ったお父さんは、まるで奪うようによしおくんを黒い学生服の背中から抱き上げると、ぼうっと突っ立っている身体の大きな中学生を恐い顔で睨みつけて言いました。

「いいかい?もしもこれが君の仕業だということが解ったら学校にそう言ってちゃんと責任を取ってもらうからね!」

 たっちゃんにはいったい何のことだか解りません。お父さんの腕に抱かれて泣きながら玄関の中に消えて行くよしおくんの後ろ姿をただ途方にくれたようにじっと見送るばかりでした。

 しかし、たっちゃんが本当に途方にくれてしまうのは、それから二、三日してからのことでした。